まだ引っぱれる「たくろうさん」ネタ…(笑)

このLPレコード(今はまだ人生を語らず)には、拓郎さん自身が歌っている「襟裳岬」が収録されている。
歌い方は、「ご本家」とは全然違い、あっさり(^^♪
この楽曲が世の中に出たとき、襟裳の方々が歌詞に怒っているという報道を耳にした記憶がある。
報道する側が、そういう「答え」を引き出すような質問の仕方をしたのでは?と、当時も思った。
質問者の言葉の使い方や、あるいは応答者の言葉の解釈次第で、「別の真実」を作ることは可能。
「真実」はひとつというわけじゃない(^^ゞ
岡本おさみさん作詞の歌詞の一部分「襟裳の春は何もない春です」の部分が問題視されている…ということだったけれど、その前後の部分も含めて「全体」を通して解釈したら、「怒る」要素は見当たらない。
この楽曲の表現への好き嫌いは当然あるだろうけど…。
一時期、知り合いが、恋人のメールが許せないだとか、意味がわからないだとか、毎日のようにグチの電話をかけてきたことがある。
たいていは、適当に聞き流した(笑)けれど、ときにはワタクシの方から詳しく聞きなおした。
恋人のメール文に対する彼女の解釈が、ワタクシには理解しがたいものだったから。
字面だけを読む、といえばいいのだろうか。
その文章ににじみ出ている恋人の感情が、彼女にはまるで見えていない様子。
それは、とても不思議だった。
恋人のメール文には「愛してる」とか「好き」とかの直接的な言葉は一切なかったけれど、そのメールは言外に彼女へのたくさんの愛情があふれている文章。
その文章に対して、そういうふうな解釈をする人がいるんだ、ということに驚いた。
恋人なんだから会話ができない状況ではないのだし、他人にグチるほどメール文に不満があるなら、ちゃんと相手と向き合って話しをすればいいのに、と思った。
「感性」という言葉は、安易すぎる(…と思っている)。
この言葉には「黄門様の印ろう(苦笑)」みたいな要素がある、と個人的には、そう思う。
だから、あまり使いたくはないが、言葉で表現するなら、このふたりはあまりにも「感性」が違ったということになるのだろう。
すぐに別れるだろうという予想ははずれ、思ったよりは長く続いた後、ドラマを超える修羅場(ここでは書けない…苦笑)を経て終焉。
恋が終わってしまったら、グチるネタがなくなったのか、それともその後すぐに始まったという新しい恋がうまくいっているのか、パッタリ電話をしてこなくなった。
今は、あんなにも「感性」が違うふたりが、いったいどんなふうに時間や空間を共有していたのかを知りたいという、野次馬的興味だけが残る(苦笑)
メールのように短い文章であっても、伝わるものはある。
文章というものには、書き手の「人間性」が出る。
「感じる」ものがある。
それは文章力とは関係ないような気がする。
だから…。
この人は文章が上手い、とは思っても「イヤなやつ」と感じることだってある。
「人間性」の判断は、あくまで主観…つまり、個人的な「好き嫌い」とか「相性」…?(^_^)
「襟裳岬」から、話が大きく逸れたところで、本日は終了。
あっ、その前に…(^_-)
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よしだたくろう「襟裳岬」そして…。
他のレコード音源のデータ化検討中のために、またまたレコード棚の奥までじっくり見ていたら、こんなの発見。
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「今はまだ人生を語らず」の中の「世捨人唄」が森さんのLPにも収録されていることは某サイトで知り、そちらで聴いてみた。
しかしながら、ワタクシ自身が所有していていたなんて…「超・驚(^_^;)」
これをデータ化する気は…まったくないけど。
そもそも、買った記憶も、聴いた記憶もないんだけどなぁ~(苦笑)