セミの鳴き声と、夏休みでテンションが高くなっている子供たちがはしゃぐ声の音量は操作できない。
しかし…。
「人のこころ」は操作できる。
数日前、新聞広告で「洗脳」という本の出版を知った。
もう一冊「マインド・コントロール」という本と共に、ネットで購入。
読んでいるうちに「こころを操られる」ということは、私にとって、人ごとと言えるほど遠くはなかったかもしれないと思い、ちょっと怖くなった。

X JAPAN…音楽の方向性としては好きな部類のバンド。
CDやビデオ・DVDも少し持っている。
でも、「X JAPAN及びToshlご本人」の熱狂的ファンではないし、ステージ上のパフォーマンスについてゆけるほど若くもない。
つまり、ライブへ行こうとまでは思わない。
その程度だから、一時期ワイドショーなどで騒がれていたToshlのことも、そんなに詳しくは知らなかった。
ただ、彼の「洗脳問題」に関することを見聞きする機会は、今までに何度かあった。
それらは、偶然の出来事ばかりだったけれど、なぜか記憶に残ることばかりでもあった。
一度目は、今思えば、おそらく「洗脳」の初期段階の頃のこと。
ToshlがNHKのスタジオパークに出演したとき、たまたまそれを見た。
彼がX JAPAN時代の自分をすべて否定しているかのような言い方に、若干引っかかるものがあった。
そのときの彼は、素顔でサングラスもしていなかった。
短くした髪も黒くて、白いシャツ姿はいかにも好青年というふうにも見えた。
が、それまでの自分自身を否定するような言い方には、一瞬「えっ?」と思った。
二度目はNHKの別の番組で、自分がToshl自身よりも彼の声のことをいちばんよくわかっている、という気持ちが強すぎたんだと思う、という趣旨のYOSHIKIの発言を聞いたときのこと。
この番組を見たのも、ほんの偶然。
彼のことが騒動になって、もうかなりの時間が経った頃のことだったが、その言葉で、YOSHIKI自身、けっしてその現状に納得はしてなくて、何らかの悔いがあるんだろうな、と感じた。
三度目もNHKの番組。
これもたまたまテレビをつけたら、確かYOSHIKIの新しいプロジェクトの一環だとかでX JAPANの曲を他国のヴォーカリストが歌うところだった。
Toshl以外の人にX JAPANの楽曲が歌えるのだろうか、と興味を抱きながら聞くと、確かにそれは非常に歌唱力のある方だった。
でも、この楽曲は、Toshlの声じゃなきゃやはり成立しない…と思った。
もちろんそれは、私の個人的感想にすぎないんだけど(^_^;)
四度目は、大槻ケンヂ氏の著書。
やはり偶然にブック〇〇で見つけた、けっこう「刺激的」な本(苦笑)の中で、思いがけずToshlのことが記されていた。
大槻さんが地方に行ったとき、商店街のCDショップの店頭でCD販売のためにToshlが歌っており、それこそ偶然の久しぶりの再会だったので、飲みに行こうと誘ったけれど、まだ次の仕事があるからと、去っていったそう。
X JAPAN時代に比べたら、あまりにも違いすぎる場所での熱唱。
でも、去っていくその後ろ姿は満足そうに見えた、ということだった。
ワイドショーなどで騒がれても、ホントのことはわからない。
彼がハマったというのが「自己啓発セミナー」ということには、相当引っかかる部分はあったが、X JAPANの音楽の方が、彼にとっては無理しなければやれないことだったのかも…と、その頃の私は、そう思ったりもした。
いわゆる「自己啓発セミナー」は、非常に流行った時代がある。
その大流行よりもまだ少し前の時代から、私が勤めていた会社では、男性社員に対して、ごく普通にその類が社員研修に取り入れられるようになっていった。
そういう研修に参加してきた社員の中には、「妙にテンションが高くて、以前と比べるとちょっと変…」になっている人もいた。
その状態は、日常の仕事に戻るとすぐに元に戻ったが。
その後「自己啓発セミナー」が問題になったとき「あ、あれはそういうことだったのか」と納得した。
まだ男女雇用機会均等法以前の時代だったから、OL時代の私は「自己啓発セミナー」には行かずにすんだが、年月を経たあるとき、この人物は私に「マインド・コントロールをしかけようとしているのではないか」と強く疑いながらも、自らの意思でその人物と関わったことがある(^_^;)
まだ「マインド・コントロール」という言葉はそれほど一般的ではなかった。
相手が、私に対して何か大きい勘違いをして、そういう働きかけをしてきているらしいことは、初めから私には「はっきりくっきり」と見えていた。
でも、少しイジワルなところがある私は、相手のその手の内を、この際だから見せてもらおう…と興味本位に思ってしまったのだ(^_^;)
その当時の私は、その相手の「下心」は、私にも見えるのだから、誰にでも「見えるはず」だと思っていた。
相手は、権威ある肩書を持っているとはいえ、少なくとも私には、「警戒センサー」がずっと止むことがない人物だったから。
だから、それから何年後かに実際に被害を訴える人が出たときも、その被害者の方には申し訳ないが、それは「自己責任」だろうと思った。
あんなに「危険信号」満載の人物なのに、それが見えなかったのだろうか、と不思議だった。
そもそも近づく方が悪いとさえ思った。
自分のことは棚に上げて…(^^ゞ
今回読んだ、この2冊の本には、マインド・コントロールや洗脳の「手口」「実態」が克明に記されている。
人格をも変えてしまうそれは、あまりにも凄まじいもので、言葉が出ないほど。
「自分の意思」ならば「自己責任」だろうけれど、初めから「目的」を隠し持って近づいてきた人物から、巧妙に「意思」をも操られていたとしたら…。
その手法は、程度の差こそあるものの、まさしく私が関わったその人物も使っていた。
私の場合、その時は、たまたま私には操られる隙間がなかった、ということだけかもしれない(-_-;)
人は「特別」に弱い。
私にもそういう要素はある。
が、「特別」という考え方は、ある意味危ないことも知っているし、元々キライな考え方でもある。
ヨーガをやっていたときも、最後の最後まで共感できなかったのが、その部分。
ヨーガの場合は、いわゆる「特別」というのともちょっと違うんだけれど。
でも、究極まで行くと、やはりそうなる(「極めた人」イコール「特別」な存在みたいな…)
精神世界の領域では、どうしてもそうなってしまう。
そのことは、それなりには理解できるが、みそっかす人生の私には、では究極までけっして行くことのない人はどうなるんだ…という思いの方が、やはり強い。
それは、ただ単に私とその講師との相性が悪くて、その教えをどうしても深く読みとれなかっただけかもしれないけど。
話が逸れた。
その人物に出会ってしばらく経った頃、この人が提唱しているものは、「特別」という考え方がまずありき…なんだ、とわかった瞬間、即座に自分の中の「警戒センサー」のスイッチがオンになった。
その瞬間から、こいつは「キケン」という色眼鏡で見るようになった。
しかし、相手の方は、私がそういう色眼鏡をかけたことを悟ると、今度はそれがあなたの間違いであり、それこそが問題なんだ、という論法になっていく。
なかなか巧妙で、なかなか手強かった。
私がこうやって、今ここに無事にいられる理由は…当時も今も、私が抱えている「問題」を、私自身がなんとかして「きれいに解決しよう」とは思っていないこと…だろう。
マインド・コントロールや洗脳を仕掛ける人が対象とするのは、何らかの問題を抱えていて、しかも、それをなるべく早くきれいにきちんと解決したいと思っている人のはず。
真面目にその問題に取り組もうとする人のはず。
幸か不幸か、私は「問題」を抱えてはいたが、それを死ぬまでに解決できたらラッキー、と思っているような、とても不真面目なヤツだし、また、その「問題を」解決するために、誰かに頼ろうなんては、これっぽっちも思わなかったヤツでもあった。
いくら親身になってくれたとしても、またいくらその道のエキスパートであっても、人が人である以上、裏切らないだとか、間違えないだとかは、けっして断定できない(と思っている)。
いろいろな考え方は参考にさせていただくけれど、それを鵜呑みにはしない、という姿勢はずっと変わらない。
だって、それが間違ってるかもしれない、私には合わないかもしれない、と思うから。
人の提唱するものを無条件に信じて、もしそれが違っていたらダメージは大きいが、自分で考えたものなら、違っていても悔いは残らない。
自分の問題は、あくまで自分の問題であり、そこに一分の狂いもなくピタッと当てはまるような既存の「便利な考え方」はない、と思っている。
それに、急いで解決しないと明日が来ない、というわけじゃないのだから、あせる必要はない、とも思っている。
その人物は「人が見える・わかる」と言っていたにもかかわらず、私がそういうふうに考えていることはなぜか見抜けなかったらしい。
あなたの問題の解決のために自分が手伝う、と優しく身を乗り出してきた。
私が簡単には応じないと悟ると、次はソフトな脅しにかかってきた(笑)
それらは、今回読んだ本の手口と形は違えど、根本は同じだと思った(-_-;)
当時の私には、若さゆえのそれなりのパワーもあったからか、誘いにも脅しにも、1ミリたりとも気持ちが揺らぐことはなかった。
でも、今後私の「こころ」が揺らがないとは言いきれない。
あの頃のようなパワーがもうないことは、自覚している。
つけこまれる隙間はあるかもしれない、ということ。
今後のために、今回読んで得たものは、けっして忘れないようにしておこう。
それにしてもこの「洗脳」…彼自身のみじめな姿だけでなく、音楽業界の裏の部分まで垣間見える。
この本を出すのは、勇気がいることだっただろうし、何よりもホントに出しちゃっても大丈夫…だったのかな(^_^;)