北陸新幹線の長野・金沢間が開業して、テレビ番組では金沢のことばかり…のような。
何度か訪れたことがある金沢だけど、実は、個人的には金沢市内の印象はあまり強くない。
覚えてるのは、初めての金沢で教えてもらって行った有名なお蕎麦屋さんの蕎麦が、全くと言ってもいいくらいに美味しくなかったこと。
店員さんの応対もあまりいいものではなく、相棒とがっかり。
10年後に再チャレンジだ…とばかりに、またふたりで食べてみたら、そのときはそれなりに美味しく感じたけど。
結局、そのことがいちばん大きい思い出?…かも(苦笑)
おそらく、金沢への旅と絡めて行った能登半島の景色だとか、富山方面へ足を延ばした際に見た立山連峰の雄大な姿の印象の方が強すぎて、このところ毎日のようにテレビで見る兼六園や武家屋敷跡は何度か行っているにもかかわらず、その記憶がかすんでしまったのだろう。
この北陸新幹線、四国在住者としては乗る機会がなさそう。
ワタクシ自身も、ある意味「テツ…(^^ゞ」だと自覚しながらも、新幹線という乗り物にはそれほど興味がない…(^^ゞ
「テツ…」としては、その新幹線開通によって、金沢からの先がもうJRではなくなったということの方が重大ニュース。
だって、それはもう、あの路線では18きっぷが使えないということだから。
今となれば、某Sバンドを追っかけて(笑)仙台への18きっぷ旅を計画した際、北陸本線に乗って直江津を通るルートを選択しておいてよかったのかも、と思ってる。
直江津は、18きっぷ旅の途中で、2回も駅前の景色だけを見たところ。
駅前だけしか知らない直江津だけど、ワタクシにとっては思い入れの深い場所。
最初に降りたとき、りっばな駅舎に驚いた。

2000年9月4日撮影
18きっぷ旅で、名古屋から松本を経て、大糸線に乗って糸魚川で降り、この後自分が行こうとしている金沢方面とは反対方向の乗り場へ向かう人の多さに驚いたことがある。
直江津方面という、その案内板を見たとき、それまではとてつもなく遠いところだと思っていた直江津という土地が、急に近い場所に思えた。
一瞬、自分も人々の流れについて行って、直江津行きの列車に乗りたいと思った。
それは、その後、好んで18きっぷを使う旅をするようになるきっかけだった気がする。
18きっぷを使って、その後に何度か乗った北陸本線沿線のそういう思い出はたくさんある(←あれ? 本日のテーマ「北陸新幹線」から話がズレ始めた?かも…苦笑)。
以前にも記事にした、トンネルの中にホームがある筒石駅

2008年8月28日撮影
親不知駅近くで車窓から見える、鉄道と並行している北陸自動車道

2000年9月4日撮影
この道路の一部分は、海の上に造られている。
道路の支柱の一部が海の中に建っている光景が列車の中から見えたときは、一瞬虚を突かれた感じがした。
瀬戸大橋のことを思えば、海の上を道路が走っていても、それほど不思議じゃないのか、とすぐに納得はしたけど。
大糸線から北陸本線への乗り換えの際に利用させてもらった糸魚川駅のトイレは、感激するほどきれいだった。
駅であんなに気持ちがいいトイレは初めて。
このときも、またその後の旅でも、糸魚川は通過駅だった。
それは今でも心残りで、いつかは糸魚川へ降り立って、せめて駅前だけでも歩いてみたい、とずっと思っていた。
その糸魚川は、北陸新幹線で行けるんだ(^^ゞ
新幹線の路線図を見ていたら、糸魚川駅は元の場所で、高岡は新駅。
地元の人々にとっては、こういう変化のひとつひとつが一喜一憂の元になるんだろうな、と思ってしまう。
すべての人にとって、全部がいい方へ向かうとは限らないだろうから。
高岡と言えば、北陸本線からちょっと寄り道して、高岡駅から氷見線に乗り、雨晴海岸の景色を楽しんだことがある。
あのあたりから見える立山連峰の迫力は、ホント素晴らしい(^O^)/
立山連峰の写真は見つからなかったけれど、列車内から撮影した雨晴駅

2000年9月4日撮影
この駅は車の旅でも立ち寄ったことがあり、そのときの写真が、家のどこかにはあるはず…なんだけど(^^ゞ
路線図的には前後するけど、街ブラもする予定もなかった富山駅で、急に気が変わって途中下車したことで、偶然に大門素麺と氷見うどんを知ったことも、その後の18きっぷ旅につながっていった。
讃岐人としては、よその土地のうどんや素麺にはあまり目が向かないものなんだけれど、予定にない行動の途中で、なぜか、それまでは名前も知らなかった、富山名産品売り場にある、うどんと素麺を買う気になった。
麺好きの相棒へのお土産にしようと思ったのは確かだけれど、今思えば、かなり重くてかさばる品物をどうして買ったのだろう。
どちらも驚く美味しさだった。
この素麺とうどんのために、その後2度も18きっぷ旅でまた富山駅へ立ち寄ることになるとは、そのときは思いもしなかった。
その後、世の中がネット時代になって、いろいろと情報を知り、なるほど、美味しいはずだと思った(^^ゞ
そうそう、最近では大門素麺の方は、なんと、このうどん国で買えるお店発見(^O^)/
脱線話はこのくらいにして、そろそろ北陸新幹線の駅の方の話に戻ろうか…って、でも、たぶんまたすぐ脱線する予感(^^;
北陸新幹線の開業で、長野駅が通過点になってしまうなんていう報道もある。
でも、長野には善光寺があるし、しなの鉄道も走ってる!
しなの鉄道に乗れば小諸へ行けるし、そこから小海線で小淵沢へ行けるし、小淵沢から諏訪湖はそれほど遠くはないっ!(^_-)
ワタクシがやはり18きっぷを使っての長野への旅に出た時も、まだまだネット時代ではなかったから、今のように情報は多くなかった。
それなのにどうやって知ったのか、もう覚えてはいないが、善光寺の戒壇めぐりは経験したいと思った。
朝のお勤め(お朝事)なるものにもちょっと興味があった。
お朝事に関しては、信仰心は薄いのでお数珠を頂戴しようなんていう気持ちではなく、当時はカメラ撮影に凝ってたので、ご住職たちの移動の様子をカメラに収めたいという下心からだったし、戒壇めぐりは、極楽浄土へ行きたい気持ちではなく、単純な好奇心<(_ _)>
情報がなくて、お勤めの始まる時間はわからないまま、自分的にはけっこう朝早い時間に、泊まっていた駅前のホテルから歩いて善光寺まで行った。
早い時間なのに参拝者は多く、お勤めはもう始まっていた。
入り口付近までは無料。
だからか、その辺りで読経の様子を見ているだけの人の方が多かったかも。
ワタクシは戒壇めぐりという目的があったので、自動券売機(笑)で参拝券を購入。
まず内陣へ入って、お参りしてからどうぞと言われた。
お参りはしたものの、読経はまだまだ続く様子。
どうしようかと思っていたら、読経中でも出入りする人はいる。
それらの人に紛れて、こっそり戒壇めぐりのための「階段(笑)」の方へ。
ワタクシの前後には誰もいなかった。
まったくのひとりで、本当に真っ暗闇の中を、壁の腰の高さの辺りを右手で触りながら少しずつ進んだ。
真の暗闇は、恐怖よりは、感動の方が大きかった。
たったひとり、ホントにホントの真っ暗闇の中で、これは「恐れ」というよりも「畏れ」なんだな~と思ったような記憶はある。
さらに、こういう妙に冷静なところも自分にはある、と思ったりもした(苦笑)
でも、やがて錠前に触れることができたときは、安堵(笑)
日頃の自分を考えたら、錠前に触れたくらいで極楽浄土へ行けるとは思わなかったし、それは、今もそうは思っていないけれど、その時は、とにかく触れることができたことで、とてもホッとしたのは事実(苦笑)
外へ出たら、まだ陽ざしはそれほどの明るさではなかったのに、「俗世間(^^;」が異様なくらい明るいものに感じられた。
今でもしっかり記憶に残っている(^^♪
ということで、長野の印象は非常に強い。


2000年9月5日撮影
もうひとつの目的だったカメラ撮影は、読経を終えてお帰りになる際にチャンスがあったけれど、戒壇めぐりを経験したすぐ後だったからか、何だか恐れ(畏れ(^^ゞ)多い気がしてきて、間近で撮影する気にはなれなかった。
え~、このまま続けると、本日のタイトルからはどんどん脱線していくので、これにて終了(・_・;)