①からの続き
「テツコの旅 2日目」
電鉄出雲市→出雲大社前(バス)
出雲大社前→松江温泉駅(一畑電鉄)
松江→米子→境港→米子→松江→米子(JR線)
実は、旅の2日目になっても、幻となった3日目の最高傑作ルートへの未練を引きずったままだったから、その日の実際のルートは気分次第で行こう、と思い行動開始。
午前中は、一応予定表通り。
まず駅舎ヲタとしては、JR出雲市駅と一畑電鉄出雲市駅の観察。
JR出雲市駅は、出雲市から大阪まで3時間28分という、伯備線と新幹線を使っての最速乗車時間を記した、表の大きい看板が目立った。
駅舎の中は、どこにでもあるようなありふれた朝の光景。
時間が多少早いためか、まだラッシュというほどではないが、その場の全員が、目的を持って機敏に行動していた。
私のように、ただ駅を見ている人などいない。
以前はこの駅から、出雲大社方面への大社線が分岐していたという。
プラットホームへ出たら、廃止された線路の状況がわかるかもしれない、と思った。
しかし、乗客ではないのに乗り放題切符を見せて朝の改札を入るのは、何だか気が引けた。
もうひとつの方の一畑電鉄出雲市駅。

地図で見る限り、JR駅の隣に並んで位置すると思われたのに、実際には入り組んだ路地の奥。
倉庫かと見間違うかのような建物に、電鉄出雲市駅と表記された小さな看板。
電車待合所と書かれた狭い入り口から中をのぞくと、たくさんの人たちが木製のベンチに腰掛けていた。
人は、JR駅よりもっと大勢いるのに、駅独特のざわついた慌しさや、浮き立つような空気が感じられない。
私には、人々がまるで秘密会議の開始を待っているかのように思えてしまった。
ここから、そのまま電車に乗って出雲大社へ向かうことはできるが、大回りになってしまう。
初めからバスで行くことに決めていた私は、自分はここの秘密会議には関係していない、とそう思った。
だから、ここも中へは入らずに、そっと見ただけ。
その後バス乗り場へ向かい、出雲大社を目指すことに。
両駅でのこういう感覚は、何だかよくわからないけれど、大切なことのような気がする。
失くしたくない、と思ってる。
一畑電鉄大社前駅は、変わった外観をしていた。
かまぼこ形の青い瓦屋根が目を引く。
ハイカラという言葉がまだ新しかった時代の建物と見受けられた。
洋風建築物に分類されるのかもしれないけれど、日本以外の国に、こんな建物はないような気がする。
相当に古い建物だが、丁寧に掃除がしてあって、手入れが行き届いている様子がよくわかった。
先ほどの出雲市駅とは違って、こちらは開放的な駅そのものの姿だった。
電車待ちの人はほとんどいないけれど、それでも駅特有の雰囲気があった。


そして旧大社駅。

この建築物は、もう凄いとしか言いようのない存在感。
その大きさは、想像をはるかに超えていた。
前日見た出雲横田駅が、出雲大社を模した美しい小駅とするなら、こちらの大社駅は、出雲大社への玄関口らしい、堂々たる風格。
ガイドブックには神社様式と紹介されていたが、伝統と格式を守り続ける老舗の旅館か料亭みたいにも見える。
現役ではなくなっても、その価値は変わらない、と建物が主張していた。
時間が早いためか鍵が掛かっていて、中へは入れなかった。
ガイドブックによっては見学自由となっているものもあったんだけど。
ガラスに顔をくっつけるようにしてのぞいてみた。
内部は修復中のようで、一部分にブルーシートがかけられていた。
天井が非常に高い。
ガラス越しだというのに、どこかで知っている昔懐かしい匂いを感じた。
テレビや写真で見たのではない、私自身の身体が覚えている感覚。
記憶をたどると、4歳頃まで住んでいた家のすぐ近くにあったみかん国の伊予鉄道伊予立花駅が目に浮かんだ。
伊予立花駅と大社駅とでは、規模も外観もまったく違うと思う。
その懐かしさの根拠はわからなかったが、なぜか、この大社駅と重なった。
ワタクシが幼い頃の伊予立花駅は、中心駅の松山市駅から発車してきた、横河原線と今は廃線になった森松線が分岐する駅で、ふたつの線路がそれぞれの方角へ伸びていた。
森松線と横河原線は、当時まだ電化されていなかったようで、電車ではなく「汽車」と呼んでいた。
伊予立花駅でのいちばんの記憶は、地元では椿さんと呼ばれる、冬のいちばん寒い時期のお祭りの日のこと。
いつもと違い、ひっきりなしに「汽車」が出ていっては帰ってくる。
お祭りへ行く便、帰る便、どちらも満員の客を乗せて、伊予立花駅は、終日大勢の人でにぎわった。
その日「汽車」でお祭りに連れて行ってもらったけれど、お祭り自体の記憶はあまりない。
一度家へ戻った後、またひとりで駅へ出かけたのか、それともそのまま駅に残っていたのか、幼い私は、ひとりで「駅」と「汽車」をじっと見ていた。
誰にお祭りに連れていってもらったのかも、寒さがどうだったかも記憶になく、覚えているのは、参道の店で買ってもらったピンポン玉を飛ばして遊ぶ玩具を握りしめたまま、普段と違うにぎわいをみせる伊予立花駅の様子をひとりで観察していた自分の姿だけ。
森松線の廃止で、伊予立花駅は縮小された。
父の転勤で引越して、数年後に松山へ戻ったとき、すでに元の駅舎は取り壊されていた。
ワタクシの記憶に残る伊予立花駅が、いつ頃の建築物だったのかはわからないが、それなりに古い建物だったはず。
昔の記憶を手繰り寄せながら、しばらくの間、大社駅舎の中をのぞきこんだり、駅舎内を見上げたりしているうち、なぜか涙がこぼれてきた。
気高く孤独な建物の姿に対するものなのか、それとも郷愁なのかはわからなかった。
プラットホームへの出入りは自由。
使われない線路に草が生えている。

手入れが行き届いていた、さっき見てきた電鉄大社前駅と比べてしまう。
使われない駅は悲しいと思ったが、そういう私の気持ちには関係なく、大社駅はどっしりと存在していた。
誰も来なかった。
その空間だけ、時間が止まっているかのようだった。
相棒にも見せたい思いと、ひとりでよかったという思いが交錯していた。
その気持ちは、未だに自分でも解説できないけど。
その後、もちろん出雲大社へも参拝。


一畑電鉄の電車は宍道湖の北側を走る。
湖畔を眺めながら、レトロな電車でのんびり旅のつもりだった。
乗り込んだ車両は相当に古い。
駅同様手入れが行き届いているようで、床や窓枠が黒光りしている。
車両が路面電車のように見えたから、そのつもりで乗車した。
ところが走り出したとたん、あまりの速さに驚く。
川跡駅で松江温泉行きに乗り換えると、今度の車両は新しく、懐古感までもなくなってしまった。
のんびり予想とは違ったが、だんだんこのスピードにも慣れた。
一定の速度が続くと、なぜか眠くなる。
秋晴れ空の下、宍道湖が見えてきた。
計画段階では、夕刻にこの電車に乗り、日没を見たいと思っていたが、そうすると、境港へは行けない。
だから、天気次第で見られるかどうかわからない夕暮れ案の方をボツにした。
今日のような上天気だったら、美しい夕焼けだと思う。
夕景を想像しながら私は時々居眠りをし、ゆったり水をたたえた雄大な湖沿いに電車はひた走る。
一時間の電車旅が終わった。
さてそこからの予定が、なかなか決められなかったんだけれど…。
松江のシンボル、松江城周辺は行ったことがあるから、やはり境線乗車だろう、と思った。
境線は、盲腸線ではあるものの、距離も短いから、どういうルートでも、時間的には乗れるとは思っていた。
境港には、まだ街全体が「水木しげる」による町おこしモードではなかった頃、相棒との車旅で立ち寄ったことがある。
しかし、車旅なので駅舎へ寄っていない。
数年前に走り始めたという鬼太郎列車の存在は知っていたが、元々が車両ヲタではなく駅舎ヲタ。
絶対に鬼太郎列車を見てやる~というほどでもなく、このときの目的は、やはり、終着駅である境港駅舎の方だった。
松江発12時56分で、まず米子へ。
この日初めてのJR列車に気分よく揺られていると、突然ひらめくものがあった。
米子から境港へ行って米子へ戻った後、松江へ逆戻りして日暮れの宍道湖を見ることが可能かもしれない。
もともと鳥取泊まりのつもりだったので、時間の余裕はある。
そう思いついたとたん、昨日のテツ少年のように時刻表とのにらめっこになる。
境港であわただしくなるけれど、時間的には可能だとわかった。
思わずにんまり。
米子泊まりだからこそという案を思いついたので、鳥取で宿泊できない残念さはすっかり消えた。
米子には13時33分に到着。
次に乗る境線は13時45分発。
あわてるほどではないが、今後の行動を考えると、ここで荷物を預ける必要がある。
境港でも松江でも歩かなければならない。
距離的には2㌔程度、
ただ時間的にはかなりの急ぎ足になる。
今日の宿泊ホテルは米子駅横のはず。
12分間もあれば、フロントへ荷物を預けに行けるような気がした。
でも、間に合わなければ、計画はおじゃん。
300円節約の誘惑はかなり大きかったけれど、駅のコインロッカーへ預けることにした。
結局、12分の余裕があっても、なんやかんやで慌ただしかった。
境線は、発車したと思ったらもう次の駅。
駅の間隔がとても短い。
列車の進行方向に向かって右が美保湾、左が中海という位置関係だが、鉄道は陸地の真ん中あたりを走るので海は見えない。
車窓から見えるのは、セイタカアワダチソウばかり。
景色は、以前に車で走ったときの方がよかった。
14時28分に境港へ到着。
乗車したときは、思いついたばかりの宍道湖夕陽プランで頭がいっぱいになっていて、乗った車両が水木しげるのゲゲゲの鬼太郎列車だとは気がつかなかった。
車両は思いがけずラッキーだったんだけれど、駅舎の方はちょっと落胆。
建物が新しい。
終着駅で降りるという、昭和歌謡の感傷的な世界を期待していたが、まるで違った。
空襲にも耐えた地元のことでん瓦町駅が駅ビルに生まれ変わる計画を、とても歓迎したことがある。
つまりは、身勝手なもので、境港駅では旅行者の心理の方が強く働いた。
ちょうど、境港の観光スポットとして、鬼太郎の仲間たちのブロンズ像が点在する水木しげるロードが有名になり始めた頃だった。
大小さまざまな妖怪のブロンズ像は、見ていて飽きないけど、日本有数の漁獲量を誇る漁港の町へ来た気にはならない。
鬼太郎の像はまだ見つけていなかったが、それよりは、やっぱり港の雰囲気だと思い、以前に車で渡ったことがある境水道大橋の見える所まで歩くことにした。
途中、隠岐への乗船場があった。
日頃、私が目にすることはない大型のいか釣り漁船が、数隻停泊している。
商店の店頭には大量のかにが並べられ、山陰にいるという実感がやっと湧いてきた。
遠くまで来た、と思った。
この旅2日目で、初めてそう感じた。
だから、ちょとその場を動きたくはなかったのだけど。


宍道湖へ戻るためには、15時13分の列車に乗らなければならない。
わずか45分間の滞在で、境港に別れを告げることになってしまったのは心残り。
ということで、以下の2枚の画像は、この2年後、1997年に相棒との車旅で、またまた境港を訪れた際に撮影したもの。
その時は、ちゃんと鬼太郎のブロンズ像にも会えた(^_-)


帰りの列車では、セイタカアワダチソウの向こうに、少しの間だけれど、大山が壮大な姿を見せてくれ、行きの、平凡な車窓という印象が変わった。
米子の3つ手前の後藤駅で、車両に乗りきれないほど大人数の高校生が乗車。
米子に15時55分に着いて、56分の松江方面行きに飛び乗るつもりだった。
それなのに、私はあいにく車両の中ほどに座っている。
気がつくと、ドア近くへの移動は不可能な込み具合になってしまっていた。
外観こそ鬼太郎列車であっても、やはり本来は生活路線! ということがよくわかった。
そういう列車に、やや遠慮がちにおじゃましている状況は、けっして嫌いではない。
次の便でも松江到着は16時54分だから、日没には間に合うが、太陽が宍道湖のどの辺りに沈むかがわからない。
できれば早い便に乗りたい。
この列車はたぶん0番線到着だろう。
松江方面行きが、もし1番か2番ホームだとしても、この様子ではぎりぎり間に合うかどうか。
すし詰め列車は、到着時点ですでに定刻より1分近くも遅れていた。
時刻表上で乗り継ぎ時間が1分しかなくても、ほとんどの場合、実質は2分間ある。
時刻表には秒の単位は記載されていない。
私の経験によると、JR側は表記上1分あれば、乗客が乗り換えることを想定している(と思う)。
高校生たちが機敏に降り、なお乗り換えホームが近ければ、望みはある。
離れたホームだと、確率が低くなってしまう。
車内はざわついていて、乗り換え案内の放送は聞こえなかった。
不安は的中。
彼らはまるで亀の大集団だった。
乗り換えホームもわからないので、早々と1分の乗り換えをあきらめて、のっそり進む亀たちの後ろからゆっくり降りた。
降りたとたん、「松江方面浜田行きは5番ホームへお急ぎ下さい」という構内のアナウンスが聞こえた。
反射的に走っていた。
階段を駆け上がり、とにかく走った。
案内が繰り返されている。
後ろで亀たちが急に走りはじめた。
けれども私に比べて、はるかに体力も運動能力もあるはずの彼らは、私を追い抜くことはなかった。
「きゃあ遅れるぅ」とか「やばい」とか言いながらも、適当に走っているようにしか思えない。
下り階段で、私の膝に歳相応のブレーキがかかった頃、ようやく亀が1匹、2匹と追いついてきた。
必死に走った私と、いいかげんに走った亀を全員乗せて、列車は3分遅れで発車。
16時29分松江到着。
青空の低い部分から、ほんのり朱色に染まりはじめてはいたけれど、陽の沈むまでにはまだ時間がある。
地図を見る時間も惜しいし、方向感覚には自信があるので、だいだいの見当をつけながら湖畔の方へ急ぐ。
急ぎ足なので汗ばむほど。
迷うこともなく、湖面の見える場所へ出た。
あたり一帯は公園になっていて、ベンチもある。
朱が徐々に広がり、色が濃くなってくる。
湖面も輝く色に変わりはじめた。朱色の赤みはもっと強くなり、空全体が茜色に変わってきた。
湖面はさらに黄金の輝きを増した。
目の前に広がる景色すべてが、数秒単位で、静かに深く染まっていく。
時間の軸と色調の軸は互いに協力しあって、空と湖面の色使いを微妙なさじ加減で、精密に繊細に変化させていった。
湖面近くにいる人達の姿が、いつのまにかシルエットになり、前方で黒く浮かび上がった。
頭の中で、目に映るこれらの自然現象を言葉に変換する必要はなかった。
それは直球で私の中に飛び込んできた。
感動を、今この場所で、相棒と共に静かに味わってみたかった。
今度は素直にそう思った。



湖畔の落陽を最後の瞬間まで眺めていたかったが、次の便だと1時間近くも遅くなってしまう。
後ろ髪をひかれながらも、急ぎ足で松江駅へ。
17時56分に松江駅を出た列車は、私にとってはこの日3度目の米子駅に到着。
18時31分、定刻だった。
思いつきの変更で、後半はかなり忙しい綱渡りの列車乗り継ぎ旅だったけど、2日目も無事終了!
まだ続くので③へ。