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2018_07
31
(Tue)18:21

本日のライブ


今日のお昼前は自衛隊さんがたくさんいらっしゃる所にいたんだけど(苦笑)
2018_07
26
(Thu)21:25

熱中症

今年は暑い。
暑すぎる。


中学生の頃、運動場での朝礼の時間に、突然後ろへ倒れたことがある。

今思えば、それは熱中症。
当時、まだ熱中症という言葉はなく(日射病という言葉はあったと思うが…)、今のように学校も至れり尽くせりではない時代。
保健室へ運ばれた頃に意識は戻り、後頭部に若干のたんこぶはあったものの、それ以外は身体に異常がなかったので、そのままひとりで家へ帰りなさい…だった。←これ、今の時代ではありえない(笑)

学校から家まで歩いて20分ほどの距離。
暑かったという記憶もなく、覚えているのは、家に戻ったら、その日は、たまたま自宅の畳替えの日だったということと、その畳職人のおじさんのおしゃべりが面白かったということだけ。
自分の症状については、一切記憶がない。

それから2週間後くらいに、今度は母親と外出中に身体の異変。
母は洋裁をする人で、その日はボタン屋さんへ行くというので、一緒に電車に乗って出掛けた。
町なかに2軒のボタン屋さんがあり、1軒目で決まらずに、2軒目へ。
きれいなボタンを眺めるのは好きだったから、母がお店の人と会話しながらボタンを選んでいる傍で、ボタンを眺めていたら、生あくびが出るようになり、何だか頭がフラフラしてきた。
そして、お腹は痛くないのに、トイレへ行きたい。

これって何かまずい状況だ、と母に訴えると、母はその場所から200mくらいの場所にある建物を目指し、フラフラしている私を引っ張るように連れて行った。
その建物内には、父親が勤務する会社の診療所があった。

診療所で日射病と言われたかどうかまでの記憶はないが、立て続けに倒れたりフラフラしたりしたことでの今後の注意点として、睡眠をしっかり取りなさいと言われたのはなんとなく憶えている。


あれから、うん十年…。
その後、一度もそういう症状は出たことなかったのに…。
先日のスタレビさんのテアトロンライブでも、そんなことなかったのに…。

昨日、車の中で生あくびが10回以上。
座っているからか、フラフラしたりはしないけれど、お腹は痛くないのにトイレ行きたい(;^ω^)

一応冷房の効いた車の中なので、水分を摂りながら、全部の用事を済ませ、家へ戻って血圧を測ったら、とっても低い値。
先日の、診察日の血圧値とは真逆(苦笑)

生あくび・下痢・低血圧は熱中症の症状!

で、前夜のことを思い出したら、あまりいい睡眠は取れていなかった(-_-メ)


皆さま方もお気をつけくださいませ。

2018_07
24
(Tue)21:43

備忘録

あまりにもいろいろなことがあった2週間。
以下は、個人的備忘録(^.^)



7月7日
朝、テレビで母が住む町から近い場所で記録的大雨が降ったというニュースが、ほんの一瞬だけ流れた。
心配になって電話しようと思った矢先に、相棒くんの兄(長男)からの、母が避難所に行ったという連絡が入ったと知らせ。
その時点では、身体も家も大丈夫とのことだった。

その後、うちからも、母親に連絡を取ろうとしたが、結局直接は母と会話できないまま時間だけが経過。
耳が遠いというほどではないが、携帯電話の着信音は高齢者には聞き取りづらい。
今までも、着信音に気がつくことはなかった。

詳細はわからないものの、実家の立地から考え、家が酷い被害を受けたとは思わなかったが、母の年齢を考えても、なるべく早く帰省し、母を安心させようとは思っていた。

その地区には、特別警報も出ていなかった。
だから、避難は一時的なものという認識。
まして、普通の生活ができない状況だなんて、想像もしなかった。

ところが、その後ニュースで町のシンボルの建物が半分水に浸かっている映像が、これも一瞬だけテレビで流れた。



7月8日
前日の夕方に、町全体が大きい被害を受けている様子がようやくわかったので、母を連れて帰るために、早朝に高松を出発。
母は、前日の朝から一時的に避難所へ行っていたが、当日の夕暮れ時には自宅へ戻っていた。
避難所も停電していたし、たくさんの人が次々と避難してきて、そこでは夜も座って寝るしかない状態だろうと判断し、どうせ停電しているのなら、自宅の方がゆっくり寝られると思ったそう。
そのときは、こちら側からの実家への電話は繋がる状態。

一方、私たちは、高松を出発はしたものの、高松・松山自動車道には、数カ所の通行止め区間があり、また主要道路から母の住む町へ入れるルートが、あらゆるところで通行止め。
その時点で一本だけ通ることが可能だった道も、実際に行ってみれば大きい車は通行できない状態。

町はいわば孤立状態に近かった。

そんな中、かなり怖い思いをしながらも、5時間ほどかけて、なんとか自宅へたどり着く。
母は無事で、家も大丈夫だったが、町全体は停電と断水。
自宅ももちろん停電。
水に関しては、かなり高台地域のため、いちばん高い所まで上がっていた水が残っていたらしく、その時点で、自宅の水道はまだ通常通り出ていた(その後、断水したそう)。

来るときにかろうじて通行できた道路は、いつ崩れてもおかしくはない状況。
急いで母を連れ出し、また5時間ほどかけて、その日のうちに高松在住の長男の家に送り届けた。

その長男からは、数日後に自分は温泉旅に行く予定が入っているので、母を預かることはできない、と最初、そう言われたのだが、「長男」という彼の立場も考え、次男である相棒が有無を言わせない状態でそうさせてもらった。
その後、親戚筋の方々からの、母の安否確認電話は、すべて長男の自宅にかかってきたのだから、長男の面子は、我が家の判断のおかげで保たれたと思っているのだが…(苦笑)

それ以降も、長男からは、母も私たちも、信じられないような扱いを受けたが、もうこれ以上は書くべきではないと思っている。
そういう扱いを受けたことは事実なので、けっして誹謗中傷にはあたらないが、ここは、「言わぬが花」「言わぬが勝ち」…だろう。



7月9日~10日
実家のある町の情報収集及び、長男宅への差し入れ。



7月11日
私の通院日。
血圧が異常に上昇していたおかげで、次回の通院時にはMRI検査を受けられることになった。
次回といっても2カ月も先だけど…。
今かかっている病院、ずっとMRI検査をしてくれないので、気になっていたから、ラッキー?(苦笑)



7月12日
一日中、料理作りだめ。



7月13~15日
情報収集及び、長男宅への報告&差し入れなど。
兄夫婦はインターネットは使っているはずなのに、ネット情報の見方を知らない様子。
こちらが、情報を印刷して持っていくと、毎回「へえ~」状態。
この夫婦、おふたりとも、地元ではいちばんの進学校出身で、成績も超・優秀だったそうだが:(;゙゚''ω゚''):

14日になって、実家のある町へ入るメイン道路が片側通行ながら通れる状態になったことがわかり、さらに、飲用はダメでも一応水も出るようになったというので、日帰りで町の様子を見に行くことを決意。
冷蔵庫の中身の処理や、母が戻っても大丈夫かどうかを、実際に確かめる必要があった。



7月16日
早朝に出発。
高松・松山道の規制がなかったものの、町へ入るための抜け道(近道)は、まだ通行止め箇所が多いため、メインルートで行ったから、やはり片道5時間近くはかかったと思う。
自宅からちょっと離れたところにあるお墓の様子や、町なかのスーパー(2店舗)の品ぞろえ状態、タクシー会社が営業しているか等々、母が戻った場合、今まで通りの生活ができるかどうかの確認後、家へ。

まずは四国電力に確認してから、家の電源を元通りに。
飲めないらしいけれど、情報通りに澄んだ水も出たから、冷蔵庫の中身を持っていったゴミ袋に移す作業。

真夏なので、停電していた庫内はおぞましい状態( 一一)
高齢ながらも、母は自分で調理はするので、タッパーや瓶に入った常備菜がどっさり。
臭いが漏れないようにゴミ袋を何重にもして片づけていく。
飲めない水とはいえ、保存容器類も、見た目はきれいになるように洗う。
冷蔵庫内は何度もアルコール消毒。

一応、片付いたので、お隣さんに挨拶しに行く。
お隣の方も一人暮らしだけれど、うちの母よりはひとまわり若い。
日頃もお世話になっているが、避難所でもお世話になったそう。

そのお隣さん、家の状態は一見わからなかったけれど、高くなっている道路の方から土砂が流れ込み、納屋の中は泥だらけ、住居部分の中までは入り込まなかったものの、家の周辺も土砂だらけだったそう。
ボランティアの方々4名が取り除いたという土砂の入った袋が山積みされていた。
嫁いでいる娘さんたちも駆けつけていて、それでもまだまだ作業は終わらないらしく、翌日もボランティアの方々が来てくれる予定なので助かっているということだった。

お隣さんよりもうちの方が低い位置なのに、うちは何ともなかったのが不思議。
地形の関係で、そこのお宅だけが特にひどい状態になったらしい。

このときに、娘さんから水道は検査の結果、飲んでも大丈夫らしいという情報を教えてもらった。


その後は、ゴミ袋だけでトランクがいっぱいになった状態で、実家を出発。
最初は、軽く臭っていた程度だったが、時間が経つにつれ、車内は次第にゴミの匂いが充満。
この臭い、消臭剤1本使い切っても、まだ翌日も微かに漂っていたくらいの酷さ(-_-;)

帰りはその臭いから早く逃れたい一心で(笑)相棒くんが飛ばしたおかげで、4時間程度で高松へ到着。

母と長男夫婦に状況を報告。
お隣の娘さんから水も飲めるらしいと聞いたので、その情報をもう一度確認さえできたら、いつでも帰れることを伝えた。



7月17日
ラッキーなことに、我が家の地区の燃えるゴミ収集日。
昨日、田舎から持ち帰った冷蔵庫内のゴミのほとんどを集積場へ出すことができた。

市のホームページで、水質検査OKの情報を確認。
母と長男にそれを伝えたら、明日(18日)に帰りたいとのこと。



7月18日
朝、9時前に長男宅へ母を迎えに行き、出発。
母を乗せているので、おとなしい運転だったから、午後2時頃に実家へ到着。
避難所へ連れて行ってくれた方や、お隣さんや地区の区長さんへの挨拶。

この日の私の作業は、まだ冷蔵庫の臭いが抜けていないので、もう一度冷蔵庫内の消臭、さらに、一昨日は飲用できない水ということで、ほぼ水洗い状態だった保存容器を、本格的に洗剤で洗うこと。

この保存容器の量が、ほんと半端ない。
写メっておけばよかった(笑)

相棒くんは、うちのお墓の近くにどこから流されてきたのかわからない長いパイプ状のものを片づけてもらう(ひとりで片づけるのは無理な大きさ)ため、役場に問い合わせ。
社会福祉協議会がボランティアさんの手配をしてくれることになった。

母は、防災無線で罹災者の方々へのご案内という放送を聞くたびに、うちは罹災者には入らんよなあ?と、苦笑い。
まあ、ちょこっとボランティアの方々のお世話にはなったけれどね…。
母にしてみれば、91年も生きてきて、初めて避難所へ行くことになり、その後10日間も自分の家では生活できなかったのだから、そう思うのは当然かも。

とにかく、命があってよかった!




7月19日
相棒くんは、電線にふれそうに伸びた庭の木を切る作業と、前日に頼んだボランティアの方々への案内などで大忙し。

私の方も、本格的に台所の掃除と片づけ。
昨年、母が退院した際に、帰ってきてそのまま1ヶ月近く一緒に生活したときに、きちんと本格的に掃除して、片づけもしたはずなんだけれど。
その後も、それまでは頼んでいなかったヘルパーさんに来てもらって、一応掃除もお願いしているんだけれど。

母は、掃除や整理整頓が非常に苦手な人…(;^ω^)

昔、もらったはずの高級箱入りそうめんがない、と騒いだことがあり、その後かなり経ってから、あのそうめんは出てきたの?と聞くと、うんと言う返事。
どこにあったの?って聞くと、それは「死んでも言えない」と言われたので、私はトイレの中の吊棚に置いてあったんだと思っている(笑)
何らかの理由で、その高級そうめんを一時的に急いで人目につかない場所に隠す必要があり、トイレの中の吊棚に置いて、そのことをすっかり忘れてしまったんだと思う。

ま、そういうお姑さんなので、私としては、非常に気が楽(爆)



7月20日
買い物をしてくれるヘルパーさんが来てくれるのが一週間後なので、食料品の買い出し。
冷蔵庫の中にあった調味料もすべて処分してしまっているので、それらもすべて買いそろえる必要があった。
さらに生鮮食品や保存食品も購入。
たくさんのものを買って帰り、それらを冷蔵庫や食品戸棚に入れたりしていたら、もうお昼を過ぎていた。
もうゴミ収集は通常通りに行われていることは確認したが、少しでも母が楽になるように、生ゴミも含めてゴミを持って帰れるように準備。

母と一緒にお昼ごはんを食べてから、2時頃に出発。
帰りは、お母さんが乗っていないから、もちろん超・高速(;^ω^)
それでも、やはり4時間くらいはかかったのかな。
近道の方、いつになったら通れるんだろう?

そういえば、このときも、生ゴミを積んでいたけれど、量が全然違うのと、腐っているわけじゃないから、全然臭いはなし(^^)v





今後の予定としては、また月末に日帰りで帰省する。
実家のある町の風習として、8/1までに、お墓をきれいにしてお盆を迎える準備をしておかないといけない。
昨年までは、母は元気だったから、ひとりでそういうことをやっていたが、昨年大病をしてから、高い場所にある墓地へ行くのが難しい状態。
身体は元気なんだけれど、足腰が弱ってしまった。

それでもひとりがいい、住み慣れた場所がいい、と言うのは、彼女の本心なんだろうと、こちら側(次男)としてはそう信じるしかない…のだけれど。

2018_07
23
(Mon)22:55

楽園音楽祭2018 スタレビ in テアトロン

今回、相棒くんの実家がある町が大きい被害を被り、母は一時的に高松へ避難してきた。

そのため、7/16の山本恭司さんの広島公演をあきらめた。
21日のスタレビさんテアトロンも、無理かな…と思っていたが、とりあえず、母が望む田舎での一人暮らしができる状態にまで、諸々のことを整え、20日のうちに高松まで戻ってくることができた。

とはいえ、かなりハードな日々。
ライブ当日の朝になっても、まだ行くかどうか迷っていた。
気持ちも身体も疲れていたから。

お昼頃に、ようやく準備にとりかかる気になる。
一応、アルコール類も含む飲み物は凍らせておいた(そういうことに抜かりはない…笑)ので、あとはタオルや坂道用の杖などをリュックに詰めるだけ。
そうはいっても、かなりの荷物になるので、選別に迷ってしまうし、まだまだ気分も身体も重い。

シャトルバスの最終便は16時。
今年は今回の大雨の影響で道路の通行止め区間があるらしく、渋滞も予想されるから早めの来場を…とホームページ上で呼びかけがなされていたが、私としては、最終便で行くつもりだった。
芝生席の隅っこでいいと思ったし、もし場内に入るまでに開演してしまったとしても、音は聞こえるだろう…(^^)v

なんとか、持っていく荷物がまとまり、最寄り駅発のJR便までは、まだ1時間半ほど時間に余裕があるので、ちょっと昼寝でもしようかと思っていたとき、所用で出かけていた相棒くんが帰宅。
めっちゃいいタイミング。

シャトルバス乗り場まで送ってくれない?と半ば冗談で言ったら、いいよ!…とおっしゃる相棒くん。
ヤツはスタレビ好きなのに、テアトロンは坂がしんどいし、それに暑いし、行かない…だそう。
ご隠居さんになって、行ける身分になったというのに。

我が家から、シャトルバス乗り場までは、車だと10分くらい。
なんと、14時10頃に出発したバス便(たぶん2便目?)に間に合ってしまった。

途中の渋滞もなく、乗車時間もいつもより短いくらいで、14時半過ぎには会場近くの駐車場(けっして近くはないが…苦笑)に到着。
会場への入口となる階段近くの入場列は、まだ短い。
日差しはきつかったけれど、列が短いのでえいっとばかりに並ぶことを決断。

係の方が、今年は暑さが厳しいので荷物で場所取りをしてかまわないから、日陰へどうぞ、と案内しているが、元々そこは日陰が少ない場所。
そういう場所は、頑張って並ぶ必要のない指定席の方々ですでにいっぱい。

でも、そう言ってもらえたおかげで、入場列の場所取りをしてから、トイレへ。
トイレから戻って、広げておいたシートに座ってそれほど時間が経ったようにも思わないのに、もう入場準備が始まる。
毎年、この場所での暑さが耐えきれないくらいなのに、今年は風が気持ちよかったからか、時間があっというまに過ぎた気がする。

その後は、いつものように、私にとっては恐怖の下り。
ゆっくり慎重に下っていったが、これも例年より短く感じた。
最近、足の状態がいいからかも。

ただ、今年は、階段状の横の、普通の傾斜部分へ入れないように綱が張られていた。
これは、ちょっと残念。

階段状の坂というのは、足の弱い人にとっては、何もない普通の坂に比べると、登りも下りも余計な力が必要になる。
だから、非常に歩きづらい…なんてことは、健常な方々にはわからないのだろう。


さて、いよいよ芝生席の場所取り。
いつものように早く日陰になる下手側の平坦な部分を目指したが、今年は、なんとそこにも綱が張ってあり、入れない。
折り畳椅子専用の場所…だそうで。
しかたなく、その前にシートを広げた。
傾斜があるから座りづらいが、しかたがない。

結局、最終的には、折り畳み椅子を持ってきた方がそれほどたくさんはいなかったから、椅子なしの方々も、次第にその場所へシートを広げていき、私もそれを見習って後ろに下がった。

来年は、堂々とそこへ座るために軽い折り畳み椅子を持って行くべき?
でも、そうするとまた荷物が増えるじゃん(;´∀`)


気がつけば、いつものようにあちこちで酒宴が始まっていたが、私は、日傘で日差しを遮り、首には凍った熱中症対策水とやらを当てて、のんびり寝そべって開演待ち。




以下、ネタバレあります。
知りたくない方は読まないで下さいm(__)m



















しばらくすると恒例の要さんの影アナ。
体調はどうなの?と心配だったが、元気そうな声。
場内からは拍手と笑い。

やがて、ほぼ定刻といってもいい時間にメンバー登場。
まずは、場内での携帯電話禁止だとかの注意事項をメンバー全員でアカペラ(笑)
これ、とっても斬新!

その後に要さんが、今回の自分の病状について語り、メンバー全員が血圧計を巻いて出てきている…と。
そして、全員の数値発表。
数値は高い人、低い人様々だったけれど、高い人はちゃんと歌って動いたからで、低い人は手を抜いたからだろう…なんて要さんが言ってたのかな?
血圧は安静状態で測定しないと、意味ないと思う…(笑)


演奏曲としては「シュガーはお年頃」で始まり「マシュ・ケ・ナダ」「クレイジーラブ」と続いたはず。
そこまでは、私自身、立って踊ってもいたけど、ちゃんと覚えている。
今回「クレイジーラブ」で、要さんが歌詞間違えなかったよな~なんて思った記憶がある。

その後は、毎年のことながら記憶が曖昧。
若干、アルコールが身体に入ったし…。

MCで覚えているのは、要さんが退院後に初めてやったことがカラオケだったということ。
少し前の時代には、いい楽曲がたくさんあるので、その中から歌ったそう。

そして、そのとき歌った曲の中から、スタレビとしての演奏。

「木綿のハンカチーフ」と「Time goes by 」…個人的には、どちらも絶対と言い切っていいくらい、好んでは聴かない楽曲。
それなのに、この日は2曲とも「ああ、いい楽曲だったんだな~」と、初めてそう思った。

やはり、要さんは歌い手としても最高。
歌による説得力が抜群(^_-)-☆

演奏後、要さんがこの2曲は、誰でも知っている有名な楽曲で、素晴らしい名曲なのに、なぜかどちらも1位にはなっていない、と語り始めると、そのあたりから、柿沼さんが猛アピール。
うちのバンドにもヒットはしていないけれど名曲がある…と(笑)

ということで、次は柿沼さん作曲「木蓮の涙」を演奏。

その後は、以前のツアーでみんなからリクエストを取ったら、ものの見事に夏にしか票が入らなかったという「7月7日」の演奏だったはず?…(;^ω^)

それからしばらくの間は、自主的に取ったトイレやグッズ購入のための休憩により、しばらく芝生席から離れたこともあって、記憶が抜け落ちているが、新曲(たぶん)を演奏したのは憶えている。

で、久々に聴いた「Goodtimes & Badtimes」で弾けた後、アンコール前の演奏が「今夜だけきっと」
しみじみ聴いた。

アンコールで、メンバーが再登場した際、ボーさんだけがいない。
出て来ないボーさんを、要さんがいつものようにいじり始めたと思ったら、ボーさんが以前のツアーでやった看護師さんの恰好で登場。
たぶん、また血圧を測ろうとしてる?


今回は、そこで完全撤収を決めた。

とても楽しいし、最後の花火まで見届けたかったけれど、花火終了時には、登り坂付近はかなり混雑し、若い人たちは勢いよく登ってくる。
その中で、杖に頼って登るのはけっこう怖い。
こういうことも、健常の方々は、きっと知らない。
以前の私も含め…。

足の状態はいつもよりいいから杖がなくても行けそうだったけれど、体調が万全とは言い難い。

ここは、安全第一!


出口近くでいつもの義援金箱に気持ちばかりのお金を入れたら、品のいいおじさまから丁寧にお礼を言われ恐縮。
その後、いつもの「水」ももらってアンコール曲(曲名知らないけど(^^;)を聴きながら、坂を登り始める。

きれいな夕景を眺めながら、ゆっくりと登り、バス乗り場へ。
私と同じように、登り坂の混雑が怖いと感じるという先客の方とバスの中から花火を眺めた。
やがて、元気のいい方々が続々と汗だく状態でバスに乗り込んで来た。
今年は、JR駅の方にシャトルバス発着場が戻ったので、20:31のJR便に余裕で間に合い、20時50分にもならない頃に、もう自宅に到着。
おそらく、今年もいちばん早く自宅に帰ったのは私(*^▽^*)

楽しいライブでした。
行ってよかった。
要さんの元気な姿を拝見できてよかった。

また来年もこのライブを楽しめるように、これからも体調管理に努めよう!

2018-07-21 スタレビ2

2018-07-21 スタレビ4

2018_07
21
(Sat)22:06

本日のライブ(^^)v

今日は、スタレビさんテアトロン…でした!

もちろん暑かったけれど、風があったので、ここ数年の中ではいちばん涼しく感じた…のかも。
そして…これは、いつもと同じでめっちゃ楽しかった(^_-)-☆


要さんも、いつもと変わらずお元気そうで、何より。

でも…。
観客側としては、高い声の部分は、そこまで頑張らないでください…とは言いたかった。
これは、帰りのバス車内で、隣同士になった見ず知らずの私たち4人全員の気持ち…(^^;)



今年はタオルだけでなく、雨対策用ポンチョ(袋入り)も買った。
ま、ワタクシが参加した年は、一度も雨は降ってないんだけど(笑)

2018-07-21 スタレビ1



それにしても…。
ワタクシ、昨日の午後2時頃には、まだみかん国にいたというのに、今日の同じ時刻にはテアトロン行きのシャトルバスに乗っていたのは、我ながらスゲー(笑)と思う。

とはいえ、この2週間でうどん国~みかん国の往復3回(うち2回は日帰り)しているので、さすがに疲れているらしく、ライブが終わって1時間ほど前に家へ戻りシャワー浴びても、今のところビールが全然欲しくない。
あまり空腹感もない。

ま、ライブ中はビール1缶とチューハイ半分ほど呑んでおりますが…(;^ω^)

2018_07
21
(Sat)16:04

開演待ち


2018_07
21
(Sat)14:45

今年も暑いっ!


2018_07
20
(Fri)19:30

とりあえず…:(;゙゚''ω゚''):

生きています。
詳しくは…いずれそのうち<(_ _)>

2018_07
14
(Sat)18:30

災害関連情報…続き

前の記事の補足

このページ→「NHK各地域災害関連情報」に入って、該当する項目をクリックしていけば、各県、そして各市や各町ごとの交通・道路・生活情報等々…かなり詳しい情報が得られます。



ページには入れたのに、細かいことが全然わからなかったと言われたので、念のため(苦笑)→91歳にはムリでも、パソコンをフツーに使える方なら難なくわかるはず…なんだけれど(;´∀`)

2018_07
14
(Sat)10:55

災害関連情報(愛媛県)

生活に関する現在の状況を知りたい方には、NHKのこのサイトが詳しい→「NHK災害関連情報(愛媛県)」

水道や病院、店舗(スーパー)の情報なども掲載。


2018_07
13
(Fri)09:44

被災地道路情報(愛媛県)

あの日以降初めて…なんだけれど、昨夜は悪夢をみることがなく、朝を迎えることができた(;´∀`)

被害の大きかった場所を往復して以降、血圧が高めの日々。
先日の診察日には、医師も看護師さんも、何より自分自身が驚くくらいの値。
その後、少しずつ回復しつつあるけれど。

ほんのちょっとの間しか「その場所」にはいなかったのにこのざま。
今も「あの場所」に留まるしかない方々に対しての言葉が見つからない。


今、私にできることは、あの日以降に得た情報を伝えることくらい。


もし、愛媛県南予地方にご家族が住んでいて、そちらに向かいたい方は、道路が寸断されている箇所が多いので、じゅうぶんに調べてから出発なさって下さい。

今のところ、愛媛県庁のページから見ることができる道路情報(愛媛県警察本部の提供ページも含めて)がいちばんわかりやすいかと…。


愛媛県提供の被災地へのアクセスルート→「愛媛県ホームページ」

災害関連のところをクリックすると、例えばこんなふうに載っています。
     ↓
2018-07-13愛媛道路情報

2018_07
09
(Mon)21:37

救出大作戦

「水」…は本当に必要なものなんだけれど、本当に怖いものでもある。

今回のことで、改めてそう思った。


言葉が見つからないけれど、心よりお見舞い申し上げます。



いつもはテレビで見るだけの被害状況。

でも、今回…。
実は他人事ではなかった!


7日の朝、田舎の母が住んでいる場所から車で3~40分くらいの町で記録的な大雨が降ったというニュースをテレビでちらっと見た。

実家は高台にあるので、浸水の心配はまずない。
しかも、周辺に特別警報までは出ていない。
ただ、大雨によって、実家よりももっと上の方にある住宅の方から土砂が崩れてくる心配が皆無というわけでもない。

まだ時間が早かったので、母に電話すべきかどうか迷っていたら、なんとすでに避難所に入ったという母からの電話が兄の家へ。

早朝に川が氾濫するかもしれないということで、避難指示が出ていたそう。
母にとっては、その川が氾濫するなんて考えられないので、防災無線放送を聞いても、最初は他の地域のことだろうと思い、避難する気はなかったらしい。
合併したことで市の範囲が非常に広がり、無関係の情報もよく流れる。
だから、そういう認識だったそう。
確かに大雨は降っていたけど。


ところが、ご近所の方から、同じくひとり暮らしのお隣さんも、たった今避難所に連れて行ったから、同じ避難所へ行った方がいい、車で連れて行ってあげる、と言われたので家を出たということだった。

91歳ひとり暮らし。
かなり以前から携帯電話を持ってはいるが、緊急時に役立ったのは初めて。

その後は電話しても繋がらない(おそらくは、本人に着信音が聞こえないだけ…)ので、本人からの情報は得られなかったから、テレビ&ネットで情報収集に努めたが、詳しいことがよくわからない。

大雨で浸水の可能性があるので、避難指示が出た…母自身から聞いたのは、その程度の情報のみ。
全国的にいろいろな場所で大雨被害が出始めていたこともあり、テレビはその情報ばかり。

県外在住の私たちには、母の住む場所の情報はなかなか得られなかった。


実家の建物は、浸水することはまずないだろう。
避難しているという公民館も頑丈な建物。
避難指示による避難なので、食糧・飲み物類にはたぶん不自由はないだろう。
ただ、母は杖がないと歩くのがつらいので、そういう点では困っているはず。

でも…実のところ、その時点では、こんな大きい被害だとは、母も私たちも想像すらしていない。
避難所にいたとしても、せいぜいその日一日だけだろうという認識。
川はあるけれど、今まで水が溢れたなんて、私たちも一度も聞いたことがなかったから。


とにかく…。
私たちの顔を見せることで母は安心するはずだし、私たちも母の顔を見て安心したいから、天気が回復する9日の月曜日には帰省するつもりにしていた。

そんなとき、夕方のテレビニュースで母の住む町の映像が一瞬だけ流れた。


なんと、町のシンボルとなっている建物が半分近くまで浸かっている。



その時点で、道中での雨の心配は残っていた。
それでも…。
相棒くんと翌日(8日)の帰省を決断。

ちょうどその頃に、母が家へ戻ったという連絡。
避難所も停電しているので、家にいるのと変わらないと決断したらしい。

その判断は、91歳にしては上出来。
しかも、真っ暗になる前に自宅へ戻ろうと、いちばん高齢者の母がいちばん先に近所の方々に提案し、説得もしたそう。

相棒くんが、とにかく明日迎えに行くからということと、もしまたどうしても避難所へ行かなくてはならなくなったら、そのときは自分たちが母のいる避難所まで出向いて、母を探すから安心して、と伝えた。



テレビは、「インパクトのある映像」の場所しか放送しない。
被害が出ていても、映像がなければ、それほどその話題を取り上げてくれない。


相棒くんと私がやっとの思いで実家にたどり着いた時点で、母の住む町へ通じるルートはひとつだけ。
迂回路を通らなければならない箇所に、迂回路を示す看板すらなかったが、そういうことについてはマスコミでの報道は一切なかった。



ここであの日の現実の状態だけは記しておく。
映像なんて撮る余裕はなかったけど。
文章で残しておくことはできるから。







7/8(日)の状況
道路の端っこの部分が川へ崩落しているところを通らなければならなかったり、迂回路が、橋の上に散乱しているがれきを近くのおじいさんがたったひとりで片づけてくださっている場所だったり、道路脇の崖の方から水が滝のように流れている場所でも、そこを通るしかないからか、そこには何の規制もなく、それでも、緊急事態だから対向車同士がマナーを守って譲り合って離合するような状況。

崩落していた場所と、全面通行止めの入口だけには、パイロンこそ置いてはあったが、本来ならそこには係員を配置すべきようなところ。
特に、崩落していた場所は、普通だったら、絶対に通行止めにするだろう…状態。

被害があまりに甚大で、手が回らない状況…と見て取れた。
それに、そこを通行止めにしたら、もう迂回路はないのだろう、とも思った。


そういう情報はテレビでは一切報道されなかった。
ネットで調べた「お役所」が出している情報も、救出に行きたい私たちには役立たないようなものばかり。
母を迎えに行くとして、いちばんの心配は山の奥の盆地という立地の実家への道路事情だった。


帰省を決断した後(7/7夜)は、ネットでTwitterなど一般の方々が発信している情報収集に努めた。
一般人が発信するネット情報は正しくない場合も多いけれど、「公的機関」の情報が皆無なのだからしかたがない。
どれが正しくて、どれが怪しいかは、自分で判断するしかない。


メインルートで行く方法は、道が半分崩落している画像を見たので、早々に除外。
いつも我が家が使っている、いわゆる抜け道も、大洲からのルートの方は大洲地区が冠水しているのでダメ。
こちらもよく使う内子からのルートは大丈夫というTwitter情報。
どちらの道も知っている(地形がわかっている)から、それはじゅうぶん納得できる情報だった。

しかし、その先のルートについては、別の方の情報によると、大回りして、日頃は通らない町を経由しないと、どうやら実家のある町へ入れない?
そこは日頃は通る必要がないだけで、行ったことは何度かある町。
地理的に考えても間違いではないと思える情報だったから、参考にすることにした。



8日の朝6時過ぎ、高速道路情報だけは正式な発信源から情報収取(苦笑)して、出発。
高速道路情報によると、香川県内は下道を走るしかない状態に思えたが、一応高松西インターへ行ってみると、その時間には愛媛県の途中までは行ける状態になっていることが判明。
それだけでも時間的に大助かり。

結局、その後一度は高速から降ろされたが、また少しの区間は高速に戻れ、その後また下道に降ろされ、ようやく内子に到着。

大洲からの道に合流する地点で信号が点いていないことに気がついた。

停電しているけれど…。
信号が点いていない場所だけれど…。

お巡りさんは立っていなかった(^^;)


通常では、まず考えられないこと。


その後は前述したとおり、迂回路への案内なしの全面通行止めの看板だとか、崩れてきた土砂を道路脇へ寄せているだけの箇所だとか、流されてきた車や布団(この場所の惨状に関しては、なぜそこに車や布団などが流されていたのかがよくわからない)を、かろうじて道路脇へ移動させただけの場所とか…。


それらの場所を通過しているうちに、本当に母の家へたどり着けるのだろうか? 
そして、たどり着けても、今通ってきた道は、帰るときにも崩落せずににちゃんと残っているのだろうか?

そんな思いにかられた。



そういう思いが頭をよぎりながら、ようやく町へ入ることができた。

何とか車は通れそう。
しかし橋の両脇は、とりあえず車が通行できる状態にするために急いで片づけたと思われるがれきの山。
町の中心、いわゆるメイン通りなので、ここの道路は非常に重要。
通れるだけでもありがたい。

いつもとはまったく違う光景に胸が苦しくなる思いで、実家へ急ぐ。
実家到着は、11時すぎくらいだったか…。
渋滞がない場合、飛ばし屋の相棒くんの運転だと我が家から3時間もかからないときもあったけれど、約5時間もかかったのは、やはり高速の規制が全面解除にはならなかったのと、2回も迂回路を通らなければならない状況だったことだろう。
覚悟していたよりは、早く到着できたと思うけど。





家の周辺まで行ってみると…。
自宅手前の道に、通行止めのパイロン。
ま、この程度なら、母もじゅうぶん歩ける距離だし、私たちが荷物を積み込む際も、それほど大変じゃない。

でも、ここから通行止めということは…うちの家より上の道路は崩れている?
それよりも家はどうなった?


…母の家は、大丈夫だった。

母が言うには、前日に避難所から帰ってしばらくすると暗くなってしまったし、この日の午前中は、近所の方や、お世話になっている役場の福祉担当者が来てはくれたものの、結局のところ、自宅以外の周辺状況は、あまり自分はわかっていないとのこと。
停電しているから、テレビも見ることができないので、避難所にいたときも、また自宅に戻ってからも、ほとんど詳しい情報は知らないままだったらしい。

断水しているところも多いようなのに、その時点で、母の家は水は一応出ていた。
しかし停電は続いている。
固定電話も使えないし、その時点で、なぜか携帯電話も繋がらなくなっていた。

母は、、いつもだったら絶対にタクシーに乗る距離をご近所さんの方々と避難所から歩いて帰ったものの、いちばん被害が酷かったところは目にしていない。
それに、私たちがかなり迂回せざるをえない状況だったことは、いろいろな方に聞いて理解はしていたものの、私たちふたりが目にしてきた道路の現状をまだ知らない。

私たちふたりが、とにかくこの町から早く脱出しようとしていることが、すぐには理解できなかったみたい。
細かく説明していくうちに、何とか冷蔵庫の中身についても一部分を除いてあきらめてくれた。

家へ到着して、たぶん3~40分後くらいには、電源ブレーカーを落とし、戸締りもすませて家を出たと思う。

そして12時40頃だったか、すべての危ない箇所をクリアし、高速道路の内子インター近くまで戻ることができたときには、もう何と表現していいかわからないけれど、本当に本当に…ホッとした。


が、内子インターからの高速道路はまだ不通。
そのまましばらく下道を走り、ようやく伊予インターから高速に乗ることができた。

高松へ戻り、兄の家まで母を送り届けたのは、夕方4時過ぎ頃だったかな。





ホントに長~い一日(*´ω`*)

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2018_07
06
(Fri)18:20

第2409回「レジ横にあるガムや飴の小さなお菓子、買ってしまいますか?」

今回の雨、もうこの後しばらく雨は要らない…くらい、ず~っと降り続けている。
どこかに「雨off」のスイッチはないの?
被害がこれ以上広がらないことを願うのみ。

うちの場合、真夜中に携帯の避難情報が鳴っても、避難場所へ行くまでの道中がいちばん危険だと思う(;´・ω・)




さて…今日のお題のレジ横のお菓子。

レジに並んでいて、お菓子を見かけたから買うっていうことはまずない…かな。
スーパーやコンビニに行って、買う予定のものを探すために店内をうろついていて、買うつもりじゃなかったものが目に入り、あ、これもあれも要るんだった、と予定外のものをカゴに入れることはしょっちゅうあるけれど、それがお菓子っていうことは、ほぼないですな。

2018_07
03
(Tue)19:53

蛇口からうどん出汁

ホントにあったうどん出汁の蛇口
場所は高松空港2F

2018-07-03高松空港 蛇口2

詳しくは…といっても、「蛇口」に関してはこれ以上のものがないけど、いずれまた、おでかけ日記として、ヒコーキの写真付きで書くつもり(;´▽`A``

あ、もちろんヒコーキには乗っておりませんからご心配なく(笑)

2018_07
01
(Sun)16:58

東京駅周辺 食べ物噺

スマホ内・PC内で埋もれていた画像データ。
それなりに一応整理ができ、このブログ上でも、それらの記事は、ほぼアップ終了(^^)v

まだアップできていないのは、昨年の京都の紅葉写真と、6月中に食べたうどん&ラーメン、そして3月の東京遠征旅で食べたもの。

紅葉の写真は、この時期に見てもピンとこない。
うどん&ラーメンは、このブログではそう珍しいものじゃない。



ということで…。

本日は大都会・東京駅で食べた物のお噺(おはなし)


旅の経験はそこそこある方だとは思うが、ひとり旅の場合、あまり食にはこだわらない。
ひとり旅に出る前に、おいしいと言われているお店を、一応チェックする場合もあるが、実際にはそういうお店に入ることはほとんどないと断言できるくらい…ないっ(笑)
元来、普通の味で、普通にお腹が満たされて、気分よくお酒をいただければそれでよし!…という性質なもので。

その時その場の体調などで、食べたいものは違うわけだし、チェックしておいたお店の場所を探すということ自体が面倒。
東京駅みたいにごちゃごちゃしているような場所なら、なおさら。


今回の遠征旅でも、まったく行き当たりばったりのお店選択。





3月16日の朝食。

夜行バスで東京駅日本橋口に到着後、八重洲中央口から歩いてすぐのホテルへ荷物を預け、また東京駅に戻って食べた。
駅へ戻った際、朝から開いているお店はマックしか見当たらなかったんだけれど、地下へ降りてみたら、白飯が食べられるお店発見。
せっかく和食のお店なんだから、水ではなく、日本茶が飲みたかったけれど、それ以外は、お味もお腹も満足のしらす丼。

2018-03-16-1朝食しらす丼



同じく3月16日の昼食兼夕食。

博多の明太子屋さん経営のこのお店は、もつ鍋が有名らしい。
近くに朝ごはんを食べたひもの専門のお店があり、朝のしらす丼が美味しかったから若干迷ったけれど、せっかく「大東京」に来ているのだから、やはり別のお店へ入るべきだろうという気持ちになった。

お昼を食べないまま、乗りテツをやっていたら、もう午後3時近く。
しかし、このお店はまだランチメニューの案内が出ている。

実は、朝は白飯が欲しくても、それ以降の時間帯は、一旦酒を横に置くと、もう白飯は要らない(笑)
でも、そのランチメニューはめっちゃお得価格。
お酒のあてになりそうなおかずも多そうだったので、その鶏南蛮御膳メニューとビールを注文。

夜行バスで到着後も、ほぼ座っている状態だったとはいえ、半日以上乗りテツ旅をしていたからか、さすがに疲れてビール1杯で終わってしまった。
明太子が非常に美味しかったので、普通だったら絶対に食べないご飯も3分の1くらいは食べたのかな。
お腹も空いていた。

ビール代金も含めて1800円のお支払い。
お得感たっぷりな夕食。

2018-03-16-2夕食鶏南蛮御膳



3月19日の夕食。

ホテルの朝食も食べずに一日中乗りテツ(小湊鉄道・いすみ鉄道)をした日。
朝はおにぎり、乗りテツ途中で菓子パンを食べただけ。
腹ぺこ状態で東京駅へ戻ったのは、もう夕方。

とにかく、ゆっくり落ち着ける場所で何か食べたいと、どこまでが東京駅で、どこからが駅以外の施設かよくわからない駅周辺や駅地下をうろつく。
途中、ラーメン屋さんばかり集まっているところを通ったが、行列ができているお店もあり、とにかく人が多くて落ち着けそうな雰囲気は皆無。

そこからどうやって行ったのかは憶えていないが、わりと近くに、今度はほとんど人がいない場所に入り込んだみたい。

まずは、築地何とかというお寿司屋さんが目に入る。
お客さんはそれほど入っていないので、ゆっくりはできそう。
が、お寿司が大好物というわけじゃないのと、お値段も高そう。

反対側に目を向けると北海道バルという文字。
え~っと、バルって食堂だっけ? 居酒屋だっけ?

ま、表から見た雰囲気で、普通にお酒は飲めそうだし、それほど高級そうでもないし、中を覗くと、時間が早いからか、ここもほとんどお客さんが入っていない。


このお店、「個人的には」大当たり(*^^*)

フロアのお姉さん、ワタクシをちらっとみた瞬間は、全然やる気なさそうに見えたんだけれど、「呑んで喰う客(笑)」と認識してからは対応が全然違った。


ま、こういうのは、居酒屋さんでは、よくあること。

以前に、某有名全国チェーンの居酒屋さんへひとりで入ったとき、最初の接客スタッフからは「ふ~ん、女ひとりか~」的扱いを受けたのに、早々と生ビールをお代わりしたとき、それを運んできたのが、たまたま店長の名札をつけた方。
その後は、ワタクシがメニューを手にするたびに、その店長がすっ飛んできて、お飲み物のお代わりですか?と聞くようになった。
若かったから、生中3杯、その後には焼酎2~3杯くらいは平気で飲めていた時代(笑)




たこまんま(たこのたまご)の沖づけ
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本ししゃも
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知床鶏のグリル
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たこのザンキとカマンベールチーズフライ
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残してあるレシートによると、支払い総額4525円也。
フロアのお姉さんお勧めの、ちょっと値段高めのビールを飲んだ(1杯)のと、焼酎のお湯割りは2杯飲んだし、東京駅地下での夕食なので、妥当な金額かと…(^▽^;)

ここでは、なんといっても本ししゃもを食べることができたのがラッキー。
さすが大都会…北海道へ行かなくても、本ししゃもが食べられるんだ~(;^ω^)
本ししゃも以外のものも、すべてが期待以上の味。
若い頃だったら、ちょっと量的には足らないかもだけれど、シメで何か炭水化物が食べたいとまでは思わなかった。



以上、ごちそうさまでした<(_ _)>





以下は、ちょっとハズレの店。

3月20日 夜行バスに乗る前、腹ごしらえをするために東京駅地下へ。
またまたどこまでが東京駅なのかよくわからない繋がっている地下をうろついたが、入りたいようなお店がない。
しかたなく、また前日のバルへ行こうかと思ったとき、見た目での雰囲気はよさそうな蕎麦屋さんが目に入る。

入ったときの、女性スタッフの接客は悪くはなかった。
しかし、カウンター席へ案内され、注文を取りにきた方は酷かった。

お店の責任者を呼んで来い~のレベル(笑)


かなり年配の男性だった。
とりあえずはビールを飲みたいから、「生ビールをお願いします」と言うと、「うちの生ビールには、小と中がある」と、ものすご~く不機嫌な言い方。
「あります」じゃなく、「ある」とだけしか言わない。
最初は外国の方?と思った。

いや、今は外国の方の方が、よほど日本語をきちんと話す。


そのとき、このお店にも、本ししゃものメニューがあるのが目に入ったので、「では生ビールの中と、本ししゃもとをお願いします」と伝えたら、今度は「本ししゃもは時間がかかる」と嫌そうな顔。
「それでもかまいません」と返事したら、今度は「いやいや、本ししゃもは焼くだけで30分はかかるから…」と、しかめっ面。

え? 何か怒ってる?
そもそも、本ししゃもを焼く時間が30分もかからないことは、ワタクシ、知っている。
たとえ、冷凍状態のまま焼いたとしても…ね。

再び「それでも構わないので、本ししゃもはお願いします、あとすぐに出てくるメニューは何がありますか?」と聞いたら、「こんなにたくさんのお客さんが入っているんだから、どれもこれも時間はかかるよ」の一点張り。
なぜか、ず~っとタメ口。
しかし笑顔はない。

こんなにたくさん…と言っても、店内はまだまだ空席あるじゃん(# ゚Д゚)


相手の不機嫌には気がつかないふりをして、メニューの中にあった、「とりあえず一品」項目の中から、そば味噌と冷やしトマトを頼んだ。
ところが、そのメニューをお願いしても、時間がかかるという返事。

ふ~ん、冷やしトマトでも時間がかかるんかいっ!
だんだん腹が立ってくる。

先方は、完全にワタクシに対して敵意あり状態…にしか思えない。
よほど、お店を出ようかと思ったくらい。

しかし…その後しばらくすると、なぜかその年配の男性の姿がフロアから消え、他の店員さんが来るようになった。
元々、フロア担当ではなかった?

30分もかかると言われた本ししゃもは、結局15分くらいで出てきた。

でも…本ししゃもさん、なんとまっくろこげで、炭の一歩手前状態。
たぶん、一度焼いていたものが、何らかの理由で提供されなかったものを2度焼きしたか、もしくは本ししゃもを焼いたことがない人が焼いたのか…。
よくこんな状態のを出せるな、と思ったが、そば味噌はけっこういけたし、揚げ出し野菜はめちゃうま。

もし、この揚げ出し野菜を食べていなかったら、最後にちゃぶ台ひっくり返したいくらいのお店(笑)…カウンターなのでひっくり返せないけど:(;゙゚''ω゚''):

そうそう…生中は800円と高めだったけれど、器が大きく、それは妥当なお値段というか、それに関してだけは割安感すらあった。
が、満腹になるようなものを全然食べていないし、ビール以外のアルコールは一切飲んでいないのに、支払い金額3140円は、かなり高いと思う。

次は絶対に入らない店、と思っているが、そうそう東京へ行くこともない…のか(;´▽`A``



そば味噌
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揚げ出し野菜
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タイトルの漢字をなぜ「噺」にしたか…?
ワタクシ的には最悪の店の名に、この字が使われていたゆえ…(。-`ω´-)