31日のせっちゃん(斉藤和義さん)のライブ、このスタイル(アルバムツアー)のライブとして今まで行ったライブ中では、個人的にはいちばん好き。
バンドの「音」が、とってもワタクシ好み(*^▽^*)
ライブレポもどきは、いずれそのうちに、たぶん書けるとは思う(;´▽`A``
途中で一旦、小休止はあったものの、7月全体を振り返ると、めっちゃハードスケジュール。
身体も頭も非常に疲弊していて、今は文章が書ける状態にない。
今日は、先日の備忘録の続きだけ記すつもり。
7月21日(土)
前の日に、被災地の実家(うちはたいした被害じゃなかったけど)から帰ったばかりだったのに
あの秘境テアトロンまで、スタレビさんのライブに行ってきた。
今、振り返っても、自分自身の体調を考えると、ちょっと無謀だったのかも。
でも、行ってよかったし、行けてよかった…つくづくそう思う。
7月23日(月)
留守中に当選していた、まだまだず~っと先(苦笑)のチケット支払&引取。
今の状態では、それはあまりに遠い未来に思えて、ライブへ行く想像すらできないけど(;^ω^)
7月24日(火)
ここには書けないし、私自身のことではないものの、私にも大いに関係があることについて、ある人物の言動により、せっかくのチャンスを生かせなかったことが、非常に残念。
相手を恨んだりはしていないものの、けっしてその相手の言動を忘れることはない。
「あんたが大将」的人間は、死ぬまで「あんたが大将」をやっていろ!と思う。
周辺の人々からどういう風に思われているのか、「大将」には、きっと永遠にわからない(; ・`д・´)
彼は、今までの経験(一般人がするような経験はないのかも)から、自分は何をやっても許されると思っているのだろう。
っていうか、そのことについて相手から何か言われない限り、それは問題ないことだと思っているのだろう。
しかし…。
やられた方としては、それについて表だっては何も言わないだけ。
けっして忘れることはないっ( ̄へ  ̄ 凸
なので、報復はある日突然に…かもね(笑)
してもらった方&やられた方が、たとえお返しをしなくても、やったこと(善悪関係なく)の報いは、いずれきっとある…かも。
いえいえ、かなり無神経な方とお見受けしているので、報いにも酬いにも全然気がつかないまま…一生を終えたりして(^w^)
そういう人生もあるだろうな。
7月25日(水)
美容院。
ここまで短くしたのは20年ぶりくらい?
白髪を染め、普通の人の倍以上ある髪の毛も相当量梳いてもらい、長さも短くなって、とてもすっきりしたのはいいけど、2時間以上涼しい場所にいたせいか、その後熱中症みたいな状態になる。
7月26日(木)
お人よしの相棒くんは、「あんたが大将」の奥さんからの依頼で出かける。
奥さんの方は、これまた非常に気が利かない人ではあるが、今回ばかりは、さすがにかなり心苦しそう。
あれほどのことをやっちゃうと、「大将」も、さすがに自分では依頼できなかった?
器が小っちゃい男や(笑)
7月27日(金)
大阪の友人より電話。
彼女とは、年賀状以外では、お互いそれぞれ、1年に1回だけ電話をする仲。
今回は、彼女からの電話がかかってくる時期ではなかったが、相棒くんの実家が愛媛県南予地方だということを知っているので、お見舞いのTEL…<(_ _)>
7月28日(土)
30日に、また日帰りで実家の墓掃除に行く予定なのに、台風の進路が非常に怪しい。
明日(29日)は、4カ月に一度の上方落語会なので、それも気になっていたら、落語会については、延期の連絡。
が、30日に実家に行けなくても、どうしても1日には墓掃除に行かねばならない。
遠出することは決まっているから、帰ってもすぐに食べられるようカレーを作り置き。
実家のある町には、今でも昔の風習が残っている。
「隣組」の方々のお世話にならないとお葬式を出すことができないということは、さすがになくなった。
でも、その1年間で亡くなられた方がいるお宅では、春のお彼岸・お盆(8月中に2回)の行事は、いまだに絶対に欠かせない。
今回の災害があっても、その行事は予定通り。
従って、8/1のボランティアさんの受け入れは中止。
生きている人の方が大事だと思う…なんて言ったら叱られるかもしれない。
でも、現実に困っている方を一旦置いてでも、お盆の行事は優先ということ…(;´∀`)
この行事、ワタクシも経験したことがあるけれど、ホント大変。
この町では、お彼岸もお盆も、朝の10時頃から夜の8時頃まで、いつ誰が来てもいいように、料理と酒を用意して、ずっと自宅で待機していなければならない決まり。
そういう風習がない場所で育ったワタクシには、娯楽の少ないこの地区では、亡くなった方を悼むという名目で、そのご近所の生きている方々が大っぴらにお酒を飲めてストレスが発散できる場が1年に3回もあるんだ…という認識。
元々は、亡くなった方を悼む行事であったことは確かなんだろうけれど、この地区に嫁いできた方には、非常に負担の大きい行事。
話が逸れた。
今回、うちは初盆ではないけれど、8/1にはどこのお墓もキレイにお花が供えられている状態なので、どうしても8/1の午前中までには、実家のお墓の掃除をすませなければならないということ。
台風の進路が気になっていたら、この日の夕方、母から電話で、台風の進路によるけれど、場合によっては今夜避難所へ連れて行かれる(苦笑)かも…という電話。
母の住む地区には避難指示も勧告も出ていなかったというのに、高齢者が対象の避難準備情報が出たので、前回のことがあったから「連れて行かれるかも…」ということになったらしい。
しかも、食糧は用意されていないので、もし行くようになったら、そのときは食べ物を持参するようにと言われたそう。
母は必ずバナナの買い置きだけはしているので、大丈夫とは思いつつ、念のため確かめると、バナナ以外にもお煎餅があるので、それを持って行く…と。
高齢だからこそ、避難所ではトイレや就寝で大変つらい思いをするのだけれど、こちらも助けに行けるほど近い距離ではないし、台風の進路については何とも判断しづらい状況のまま夜を迎えた。
7月29日(日)
朝7時前に、まず家へ電話したが母は出ない。
携帯にかけても出ない。
そうこうしているうちに、母の方から電話。
やはり昨夜の比較的早い時間帯に避難所へ入ったとのこと。
食べ物は今朝も出ないようだが、持ってきたもので何とか足りるだろうということだった。
まだ、台風の影響は残っていた…というか、これから影響が出そうだったけれど、とりあえず明日(30日)に、泊まりの予定でそちらへ行くからと伝える。
この時点では、31日のせっちゃんのライブは行けなくてもしかたがない、と思った。
夕方になり、母が家へ戻ったと連絡。
母と隣家のおばちゃんとふたりで、ふたり一緒に家へ帰りたいと申し出ても、避難所の担当者からは、帰っていいとは言えないと言われてしまったそう。
それどころか、これ以降も食べ物の提供はできないので、近くのスーパーで、自分の食べる物を調達してきてください…状態だったとか。
近くとはいえ、ひとりだったらスーパーまでさえ行けなかったけれど、隣人と一緒なので、何とか昼食や夕食を買いに行ったものの、このままこの日も避難所泊まりになるのかとふたりで困惑していた矢先、「組」の役員をしているご近所の方が迎えに来てくれたそう。
つまり…お迎えの人が来たら、責任はその人に移管できるので、避難所の担当者は帰ってもいいと言うことができた、ということ。
お役所仕事だからしかたがないとは思う…けど。
足腰の弱い高齢者は、トイレはもちろん、普通に座ることも、普通に寝ることも大変なのだから、そこのところはもう少し考えてほしい。
例えば、うちの母だと座布団にそのまま座ったりはできない(ふだんは椅子が必要)のだし、寝るときには、大きい腰枕も必要。
しかし、そんなものまで避難所へは持って行けない。
また、家族は車をぶっ飛ばしても片道4時間かかるようなところに住んでいて、すぐには迎えに行けないのだから、自分の責任で帰るという人をすんなり帰してくれてもいい気はする。
大きい被害があった後だから、しかたないんだろうけれど。
それでも言いたい。
避難はしなさい、避難した以上は、誰もいない家に帰ってはいけません、しかしこの場所で食べ物は一切出ません…という状況は、あまりにもお役所的発想によるもの。
ある意味では、超・優秀な公務員の仕事ぶり。
が、そこには、弱者に対する配慮がまったく感じられない。
7月30日(月)
日帰りでは、墓掃除以外のことができないだろうと思い、1泊の予定で出発。
家へ着いてみれば、母は、身体は大丈夫だったものの、非常に疲れている様子。
91歳での避難所宿泊は、かなりキツかったはず。
とりあえず、母にはゆっくり休むように言い残し、雨の様子を気にしつつ、ふたりで墓地へ。
なんと、前のときよりも長く太いパイプが、墓地の中でいちばん上にあるうちのお墓の、さらに上の通路に。
その狭い通路と並行して水路が流れ、先日はその水路か、水路を超えた水に、パイプは流されてきたものと思っていたが、この状態はそうじゃない。
今回のものは、簡単に流れるような大きさではなかった。
相棒くんが、少し通路をたどって行ったけれど、そんなパイプの元になるようなものも見当たらなかった。
これは、人の仕業。
あれからそこまでの大雨は降っていないし、よくよく考えればこの前のパイプだって、いくら大雨でも、あの状態でうちのお墓の上まで流れてきたとは考えにくい。
おそらく、うちのお墓と同じ高さの場所で、もう少し離れた所に位置するお墓近くなんだろうけれど、何らかの理由でむき出し状態になったパイプを、墓地全体の中央通路(坂道)に近いところまで、水路に沿っている狭い通路をズルズル引きずってきて、そのまま置いた状態。
うちのお墓は、その中央通路に近い。
隣のお墓は墓石も見えないくらい草が生い茂っており、完全に放置状態。
反対側の隣は空き地(墓石がない)
引きずってきた人にとっては、この場所なら放置しても、お墓はひとつしかないから、たいした迷惑にはならない、と考えたのだろう。
どの辺りから引きずってきたのかわからないが、ここまで持ってきたのなら、せめてどこのお墓にも邪魔にならないように、下の、車が通れる大きい道路まで引きずって降ろしてくれたらいいのに。
とりあえず、お墓の掃除。
いつもながら、お隣の放置状態墓からのうちへの草木の侵略がすごいことになっているので、相棒くんはそれと格闘。
私は、うちの墓地内の草取りや落ち葉掃き。
あともう少し時間があれば、墓石も磨けたのに…というところで、雨足がかなり激しくなり、それ以上は断念。
しきみも供えたし、お線香もあげたので、よしとする。
その後、ふたりでパイプを道路傍まで降ろす。
先日のものよりも長くて、ふたりがかりでもけっこう大変。
この日はボランティアさんがいないので、翌日の処理になるということだったが、軽トラにすんなり収まるのかな?
それくらい太くて長かった。
それにしても、けっしてうちのものじゃないとはいえ、ボランティアの方々にはたびたびお世話になって申し訳ないです。
本当にありがとうございます<(_ _)>
家へ戻って夕食の買い物に行こうと思っていたら、町の福祉担当の方が、母のことを心配して立ち寄って下さる。
日頃から、母とじかに接してくださっている福祉関係の方々は、いつも親身。
それから、冷蔵庫の中身を確認し、前日からロクなものを食べていない母が食べられそうな献立を考える。
大根サラダ、冷やっこ、豚肉とジャガイモ&ピーマンの炒め物。
私もかなり疲れていたので、超・簡単調理。
大根のサラダは、千六本に切って、同じく千六本切りのきゅうりと合わせて、少量の塩でしんなりさせる。
あとは同じく細長く切ったハムと合わせるだけ。
ポテトサラダみたいにゆでる時間も、冷ます時間も要らないから、こういうときには重宝するメニュー。
この日は、ごまドレッシングで食べたけど、もちろんマヨネーズでもいい。
家の庭に母の植えたトマトが大量に育っていたので、それもつけ合わせ。
冷やっこは、同じく庭に生い茂っている状態の大葉があったので、新ショウガとみょうがの薬味と合わせて、さっぱりと。
ジャガイモ&ピーマンと豚肉の炒め物は、ジャガイモを千六本状態にすることで火が通りやすいし、ピーマン・ニンジ・しいたけと一緒に炒めることで色どりがいいので、手早く何か1品欲しいときには最適な献立。
味付けは、これまたさっぱりと醤油。
この暑さで葉物野菜が異様に高いから、根菜のじゃがいもなどはとてもありがたい存在。
以上のメニューと、買ってきた握り&巻き寿司で、一見豪華に見える、超・簡単夕食。
7月31日(火)
お天気がよくないし、どんなに遅くても午後1時までには家を出ようと思っていたので(用事はほぼ終了したので、せっちゃんのライブへ行くつもりになった)、起床後すぐに、私たちの使った布団を布団乾燥機でダニ退治機能を使って乾燥。
2枚なので、けっこう時間がかかる。
実家の布団は、昔ながらの綿布団。
重くて、高齢の母には布団を片づけるのは、もう無理。
シーツや薄い肌掛けは、高松から持っていっていたので、洗濯物は持ち帰り。
朝ごはん後に、生ごみを含むゴミ類を持って帰れるようにまとめておき、その後、この先数日分の食料品の買い出し。
2日後にはヘルパーさんが来てくれるはずなので、ヘルパーさんには頼むのが申し訳ない、重いお米や果物類などが中心。
スーパーまで行く途中の小学校が、この町での自衛隊の活動拠点になっている。
見えづらいが、運動場は隅から隅まで自衛隊の車輌。
近くのコンビニにも、お昼時には、自衛隊員の方がたくさん。
過酷な環境での活動。
それもお仕事とはいえ、本当に頭が下がる思い。
感謝するのみですm(__)m

相棒くんは、また庭木をちょっと切ったり、私もまた台所を少し片づけたりした後、スーパーの開店時間に合わせて買い物に出かけて帰ってきたら、もう出発の時間。
相変わらず、今大雨が降ったら、絶対にヤバい状態になるであろう道路(そういう状態でも、現在まともに通れるのはその道しかない)を通り、高松方面への自動車道へ。
そこからは快調に走って自宅へ戻る。
大急ぎで、ゴミ類、洗濯物を荷下ろし後、顔を洗ってから、顔を作り直し(笑)着替えをして、車でライブ会場近くの高松駅へ連れて行ってもらう。
少し時間があったので、少しアルコールでも注入してから行ってもいいかな、とも思っていたが、そこまでの元気もなく…(;´∀`)
でもライブはホント素晴らしく、行ってよかった…と、帰りのJR車内でしみじみそう思った。
8月1日(水)
コインランドリーへ行けばよかったと思うくらいの大量の洗濯物。
お人よし相棒くんは、また「あんたが大将」のために、今度は荷物届け。
この用事は、先方が最初にちゃんとさえしていれば、今回のことはしなくてもよかったこと。
しかし、それについての、謝りの言葉も、お礼の言葉もなく、相手は平然と荷物を受け取ったらしい。
うちは無料の便利屋かっ(#^ω^)
人をあごで使うような行為に、人間性を疑うが、でもそういえば…。
母が高松で避難中、私たちふたりがブレーカーを落としてきた冷蔵庫の始末をするために、実家に帰ろうとしたした際、母の家の冷蔵庫から出たゴミは、被災者用のゴミ捨て場に持っていけばいい、こういうときだから、どこの家のゴミなのかわかりゃしない、と平然とおっしゃった方…でしたな(-_-メ)
こういうときだからこそ、マナーを守るのが真っ当な人間だと、かなりちゃらんぽらんに生きているワタクシですら、そう思うのだけど…。
ご本人によると、崇高な思想の持ち主らしい(自分でそういうふうにいう時点で完全アウトだと思う…(笑)が、思想なんて、しょせん絵に描いた餅
ですらい←これ、愛媛・南予地区の方言(*^▽^*)