第2117回「あなたの一番古い記憶はなんですか?」 
いちばん昔の記憶は、たぶん3歳になる少し前くらいのこと。
自分のいちばん古い記憶はそこから始まっている。
その頃は徳島県の山の中、冬場はかなり積雪する地域に住んでいた。
親に聞いた話だと、ワタクシは、2歳を少し過ぎた頃から数年間そこに住んでいたらしい。
幼かったゆえ記憶は断片的。
でも、いくつか鮮明なものもある。
歩いたら足がズボッと入ってしまうような雪道を歩いたこと。
その町の中では、乗り物に乗った記憶がなく、すべてが歩きだった記憶。
真夏に家の庭で収穫した、通常のものよりはかなり大きくなってしまったきゅうりを、幼い私が抱えるようなポーズをして父親のカメラに収まったら、モノクロの時代だったからか、抱えていたのはきゅうりだったはすなのに、出来上がった写真では、なすびにしか見えなかったこと。
普通に歩いていたら、家の近くの木製の門が頭の上に落ちてきて、ケガをしたこと。
日常生活の中で大きい蛇(アオダイショウ)だとか、大人の手のひらサイズの蜘蛛を見かけることがよくあったこと。
平成天皇がまだ皇太子だったときのご成婚の様子がテレビ放送されたとき、もちろん我が家にはまだテレビはなかった。
家から少し離れた旅館業を営んでいる知り合いのお家で、たくさんの大人たち(ほとんど女性)が、その映像をワイワイ言いながら見ている様子を横目で見て、「これってオトナにとってはそんなに『凄いこと』らしい、でも自分には、これはそれほどおもしろいことでもないんだけれどな…」なんて思っていたこと。
今みたいにお手軽な宅配便はない時代。
とても厳重に梱包された荷物が家に届く場合、それは愛媛の祖母からのものがほとんどで、その中には目的の物以外に、お菓子など子供には嬉しいものも入っている場合が多かった。
ところが、その日届いた荷物については、母が届いたときから、これにはいつものようなお菓子は入っていないから、と言う。
母は、きっちりした性格だったので、包装紙を破らないよう、慎重にゆっくりと包みを開けていった。
お菓子なんか入っていない、と言われても、私は淡い期待を抱きながら、その荷ほどきをずっと見ていた記憶は鮮明。
結局、その中身は、最初に母が言った通りの柱時計だけ。
愛媛で住んでいた家の近くの時計屋さんに注文していたものが届いたということだった。
そのときの柱時計はその後の何度かの転居のたびに、我が家の大事なものとして、ずっとついてまわってきて、そのときどきの家の居間の柱に掛けてあった。
当時としては、けっこうモダンなデザインだったけれど、私があの時計に愛着が湧かないままだったのは、きっとあのときの、淡~い期待が裏切られたから?(笑)
これ以外にも、あの小さな山奥の町の記憶はけっこうある。
20数年前くらい前だったか、古い記憶をたどって、住んでいた家だろうと思われるところへ行ってみた。
もちろん家は残っていなかったけれど、駅からこっちの方向で、家のすぐ裏が崖で、家からは鉄道が走っているのが見えたという記憶と同じ場所を見つけた。
おそらく「ここ」と思ったとき、その近くに住んでいるというお年寄りが声をかけてきて、少しばかりお話をしたのだけれど、その方のお話からだと、やはりその場所で幼い私は過ごしていたらしい。
この頃の記憶は、たぶん自分の中では「作っていないもの」のはず…(苦笑)
つまり、本当の記憶。
しかし…。
それ以前の時代、絶対に憶えてはいないはずのこと…まだホントの赤ちゃんだった私を、突然家にふらりとやってきた「黒猫」 が子守してくれていた記憶が、今でも鮮やかに映像として目に浮かぶのはなぜ?(笑)
自分のいちばん古い記憶はそこから始まっている。
その頃は徳島県の山の中、冬場はかなり積雪する地域に住んでいた。
親に聞いた話だと、ワタクシは、2歳を少し過ぎた頃から数年間そこに住んでいたらしい。
幼かったゆえ記憶は断片的。
でも、いくつか鮮明なものもある。
歩いたら足がズボッと入ってしまうような雪道を歩いたこと。
その町の中では、乗り物に乗った記憶がなく、すべてが歩きだった記憶。
真夏に家の庭で収穫した、通常のものよりはかなり大きくなってしまったきゅうりを、幼い私が抱えるようなポーズをして父親のカメラに収まったら、モノクロの時代だったからか、抱えていたのはきゅうりだったはすなのに、出来上がった写真では、なすびにしか見えなかったこと。
普通に歩いていたら、家の近くの木製の門が頭の上に落ちてきて、ケガをしたこと。
日常生活の中で大きい蛇(アオダイショウ)だとか、大人の手のひらサイズの蜘蛛を見かけることがよくあったこと。
平成天皇がまだ皇太子だったときのご成婚の様子がテレビ放送されたとき、もちろん我が家にはまだテレビはなかった。
家から少し離れた旅館業を営んでいる知り合いのお家で、たくさんの大人たち(ほとんど女性)が、その映像をワイワイ言いながら見ている様子を横目で見て、「これってオトナにとってはそんなに『凄いこと』らしい、でも自分には、これはそれほどおもしろいことでもないんだけれどな…」なんて思っていたこと。
今みたいにお手軽な宅配便はない時代。
とても厳重に梱包された荷物が家に届く場合、それは愛媛の祖母からのものがほとんどで、その中には目的の物以外に、お菓子など子供には嬉しいものも入っている場合が多かった。
ところが、その日届いた荷物については、母が届いたときから、これにはいつものようなお菓子は入っていないから、と言う。
母は、きっちりした性格だったので、包装紙を破らないよう、慎重にゆっくりと包みを開けていった。
お菓子なんか入っていない、と言われても、私は淡い期待を抱きながら、その荷ほどきをずっと見ていた記憶は鮮明。
結局、その中身は、最初に母が言った通りの柱時計だけ。
愛媛で住んでいた家の近くの時計屋さんに注文していたものが届いたということだった。
そのときの柱時計はその後の何度かの転居のたびに、我が家の大事なものとして、ずっとついてまわってきて、そのときどきの家の居間の柱に掛けてあった。
当時としては、けっこうモダンなデザインだったけれど、私があの時計に愛着が湧かないままだったのは、きっとあのときの、淡~い期待が裏切られたから?(笑)
これ以外にも、あの小さな山奥の町の記憶はけっこうある。
20数年前くらい前だったか、古い記憶をたどって、住んでいた家だろうと思われるところへ行ってみた。
もちろん家は残っていなかったけれど、駅からこっちの方向で、家のすぐ裏が崖で、家からは鉄道が走っているのが見えたという記憶と同じ場所を見つけた。
おそらく「ここ」と思ったとき、その近くに住んでいるというお年寄りが声をかけてきて、少しばかりお話をしたのだけれど、その方のお話からだと、やはりその場所で幼い私は過ごしていたらしい。
この頃の記憶は、たぶん自分の中では「作っていないもの」のはず…(苦笑)
つまり、本当の記憶。
しかし…。
それ以前の時代、絶対に憶えてはいないはずのこと…まだホントの赤ちゃんだった私を、突然家にふらりとやってきた「黒猫」 が子守してくれていた記憶が、今でも鮮やかに映像として目に浮かぶのはなぜ?(笑)
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