味覚 
味覚の基本って、甘味・酸味・塩味・苦味・旨味だったっけ?
…ということは、ワタクシ味覚オンチかも(;´Д`)
なぜなら…。
ワタクシが今までの人生の中でいちばん美味しいと思った食べ物は、大学受験の日のお昼に食べたマクドナルドのハンバーガーとホットコーヒーであり、美味しいと感じた最大の理由は、ただそれが「温かかった」ことだけ…だから(笑)
あれは真冬の寒い日。
雪は降っていなかったけれど(^^ゞ
高校の修学旅行で東京コースを選ばなかったワタクシは、この受験が人生で初めての東京行き。
高校受験のときは、一発勝負で第一志望校しか受験しなかったが、大学受験はさすがに併願。
前日に上京し、新幹線のホームまで迎えに来てくれていた従兄弟に、そのまま御茶ノ水と新宿の受験会場まで下見に連れて行ってもらい、さっそく翌日は、御茶ノ水にあった予備校が試験会場だった第二志望校の試験。
実は、この日の記憶はあまりない。
当時、鎌倉にあった従兄弟の家から、前日に教えられた通り、ひとりでモノレールと当時の国鉄を乗り継いで試験会場へ行ったはず。
その頃から、道に迷わないオンナだったからか、田舎から初めての上京だったにもかかわらず、不安を感じた記憶はない。
実際、電車の乗り継ぎもスムーズだった。
記憶に残っているのは、試験会場が、けっこう大きい予備校だったことと、隣の席の女子受験生の消しゴムの使い方が非常に乱暴で、ちょっとイラっとしたことくらい。
そうそう、試験の回答方法が、その頃流行り始めたマークシート方式だったことも憶えている。
その翌日が、第一志望校の受験日。
この日の記憶はけっこう鮮やか。
叔母には、朝が早いからこの日も朝食は要らないと言ってたが、祖母も叔父も3人の従兄妹達もまだ寝ている中、叔母だけは起きていて、熱いお茶を淹れてくれたこと。
大船駅のホームの売店で、朝食用のサンドイッチと昼食用の駅弁と、駅弁用のポリ容器入りのお茶を買い、自動販売機でサンドイッチを食べるための缶ジュースを買ったこと。
あの時代、まだ自販機で買える温かい飲物は無かった。
もちろんペットボトル飲料もなかった。
この日は一緒に上京していた母が、試験会場まで一緒だった。
そして、受験生はお昼に建物の外へは出られないけれど、試験会場入り口で差し入れのお弁当などは受け取れるということを確認した母は、お昼のお弁当を食べたら、一応入り口まで出ておいで、と言い、自分はこれから山手線を一回りしてくる、と言った。
午前中の試験が終わり、お昼に冷たい駅弁を完食した後、入り口付近まで行ってみたら、人だかりの中から母が手招き。
近づくと、これを食べなさい、と袋を渡された。
もうお弁当は食べた、と答えると、今買ったばかりで温かいよ、お腹がいっぱいならコーヒーだけでも飲めばいいから、と。
朝、叔母が淹れてくれたお茶以降、温かいものは口にしていない。
渡された紙袋は持っただけでも、気持ちまでがポカポカ上昇してくるような温かさ。
自分の席に戻って袋の中を見ると、ハンバーガーとコーヒーが入っていた。
当時、まだ地元にお店はなかったけれど、マクドナルドという名前は知っていた。
ハンバーガーという食べ物についても、パンにハンバーグをはさんだもの(笑)ということくらいは、映画などで見たことがあるから知っていた。
冷たい駅弁は完食していて、けっして空腹ではなかったはずなのに、そのハンバーガーとコーヒーをすっごく美味しいと思いながら、口に運んでいたら、あっというまに全部お腹の中に消えた。
あれから月日は流れ…('◇')ゞ
ワタクシ、30代前半のころまでは、ハンバーガーを食べることもあったが、今ではまず食べない。
地元で、最後にマックへ入ったのはいつだろう?
マックに入るのは、旅先などで休憩するときくらいで、注文は飲物だけ。
今のワタクシの胃袋では、ハンバーガーなんて食べたら、その日の夕食は完全に食べられないし、翌日の朝食もムリかも(;´Д`)
若いっていいね(;^ω^)
このときの試験会場は、新宿駅東口から少し歩いた先の予備校校舎。
母は、その予備校の近くに当時あった三越新宿店のマックで買ったと言っていた。
かなりの方向音痴で、ひとり行動はあまりしなかったはずの母が、あのときは大都会の電車にひとりで乗ったり、田舎にはまだなかったマックでテイクアウトしたりしたわけで…。
あの頃は、母も若かったから、そういうことができたのかな?と思うけど…。
そういえば、母は山手線一周中に、知らない男の人にお茶でも飲みませんか?って声をかけられた、とも言っていた。
これから娘と合流しますので、失礼します、と丁重にお断りし、次の駅でさっと電車を降り、その後の電車に乗り換えた、と笑った顔も、この日の記憶(^_-)
…ということは、ワタクシ味覚オンチかも(;´Д`)
なぜなら…。
ワタクシが今までの人生の中でいちばん美味しいと思った食べ物は、大学受験の日のお昼に食べたマクドナルドのハンバーガーとホットコーヒーであり、美味しいと感じた最大の理由は、ただそれが「温かかった」ことだけ…だから(笑)
あれは真冬の寒い日。
雪は降っていなかったけれど(^^ゞ
高校の修学旅行で東京コースを選ばなかったワタクシは、この受験が人生で初めての東京行き。
高校受験のときは、一発勝負で第一志望校しか受験しなかったが、大学受験はさすがに併願。
前日に上京し、新幹線のホームまで迎えに来てくれていた従兄弟に、そのまま御茶ノ水と新宿の受験会場まで下見に連れて行ってもらい、さっそく翌日は、御茶ノ水にあった予備校が試験会場だった第二志望校の試験。
実は、この日の記憶はあまりない。
当時、鎌倉にあった従兄弟の家から、前日に教えられた通り、ひとりでモノレールと当時の国鉄を乗り継いで試験会場へ行ったはず。
その頃から、道に迷わないオンナだったからか、田舎から初めての上京だったにもかかわらず、不安を感じた記憶はない。
実際、電車の乗り継ぎもスムーズだった。
記憶に残っているのは、試験会場が、けっこう大きい予備校だったことと、隣の席の女子受験生の消しゴムの使い方が非常に乱暴で、ちょっとイラっとしたことくらい。
そうそう、試験の回答方法が、その頃流行り始めたマークシート方式だったことも憶えている。
その翌日が、第一志望校の受験日。
この日の記憶はけっこう鮮やか。
叔母には、朝が早いからこの日も朝食は要らないと言ってたが、祖母も叔父も3人の従兄妹達もまだ寝ている中、叔母だけは起きていて、熱いお茶を淹れてくれたこと。
大船駅のホームの売店で、朝食用のサンドイッチと昼食用の駅弁と、駅弁用のポリ容器入りのお茶を買い、自動販売機でサンドイッチを食べるための缶ジュースを買ったこと。
あの時代、まだ自販機で買える温かい飲物は無かった。
もちろんペットボトル飲料もなかった。
この日は一緒に上京していた母が、試験会場まで一緒だった。
そして、受験生はお昼に建物の外へは出られないけれど、試験会場入り口で差し入れのお弁当などは受け取れるということを確認した母は、お昼のお弁当を食べたら、一応入り口まで出ておいで、と言い、自分はこれから山手線を一回りしてくる、と言った。
午前中の試験が終わり、お昼に冷たい駅弁を完食した後、入り口付近まで行ってみたら、人だかりの中から母が手招き。
近づくと、これを食べなさい、と袋を渡された。
もうお弁当は食べた、と答えると、今買ったばかりで温かいよ、お腹がいっぱいならコーヒーだけでも飲めばいいから、と。
朝、叔母が淹れてくれたお茶以降、温かいものは口にしていない。
渡された紙袋は持っただけでも、気持ちまでがポカポカ上昇してくるような温かさ。
自分の席に戻って袋の中を見ると、ハンバーガーとコーヒーが入っていた。
当時、まだ地元にお店はなかったけれど、マクドナルドという名前は知っていた。
ハンバーガーという食べ物についても、パンにハンバーグをはさんだもの(笑)ということくらいは、映画などで見たことがあるから知っていた。
冷たい駅弁は完食していて、けっして空腹ではなかったはずなのに、そのハンバーガーとコーヒーをすっごく美味しいと思いながら、口に運んでいたら、あっというまに全部お腹の中に消えた。
あれから月日は流れ…('◇')ゞ
ワタクシ、30代前半のころまでは、ハンバーガーを食べることもあったが、今ではまず食べない。
地元で、最後にマックへ入ったのはいつだろう?
マックに入るのは、旅先などで休憩するときくらいで、注文は飲物だけ。
今のワタクシの胃袋では、ハンバーガーなんて食べたら、その日の夕食は完全に食べられないし、翌日の朝食もムリかも(;´Д`)
若いっていいね(;^ω^)
このときの試験会場は、新宿駅東口から少し歩いた先の予備校校舎。
母は、その予備校の近くに当時あった三越新宿店のマックで買ったと言っていた。
かなりの方向音痴で、ひとり行動はあまりしなかったはずの母が、あのときは大都会の電車にひとりで乗ったり、田舎にはまだなかったマックでテイクアウトしたりしたわけで…。
あの頃は、母も若かったから、そういうことができたのかな?と思うけど…。
そういえば、母は山手線一周中に、知らない男の人にお茶でも飲みませんか?って声をかけられた、とも言っていた。
これから娘と合流しますので、失礼します、と丁重にお断りし、次の駅でさっと電車を降り、その後の電車に乗り換えた、と笑った顔も、この日の記憶(^_-)
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